145キロのストレートより怖かった110キロのカーブ 武田翔太が「ダルビッシュ二世」と呼ばれた本当の理由 (3ページ目)
母が仕事の時は、父が料理をつくり、武田がお手伝いをする。
父の交通事故は、武田が生まれる前に起きたという。
「お父さんの右腕の代わりに、僕が生まれたんです」
武田の語り口に陰りはない。きっと、すばらしいお父さんなのだろう。
「だから、僕がお父さんの右腕にならないと」
私が「親孝行だね」と言うと、「何をしたら、親孝行になるんでしょうね。たぶん聞いても言わないと思いますね、ウチのお父さんは」と、武田は呟いた。高校球児とは思えない、大人びた響きのある言葉だった。
「親子って、近いようで遠いっていうか、向き合って話すことって、なかなかないじゃないですか」
「料理の手伝いもいいけど、やっぱり、野球じゃないのかなぁ」
「そうですかねぇ......」
武田は、親孝行の本当の意味を、自分なりに懸命に探し続けているような青年だった。それまで出会ってきた球児たちとは、どこか違う空気をまとっていた。
【活躍の場を求め韓国でプレー】
高校時代に「ダルビッシュ二世」と称されたのは、決して長身や球速だけが理由ではない。力強いストレートで打者を圧倒しながら、110キロ前後のカーブで緩急を織り交ぜる。その投球には、高校生とは思えない余裕があった。自分をコントロールしながら、試合を組み立てていた。
右打者の外角低めへ投じた渾身の一球が「ボール」と判定されても、決して感情を乱さない。次の一球もまったく同じコースへスライダーを投げ込み、打ち取ってしまう。心は熱くても、思考は常に冷静沈着。そんな投手だった。
菅野智之(東海大→日本ハム拒否)、野村祐輔(明治大→広島)、藤岡貴裕(東洋大→ロッテ)の「大学ビッグ3」に、将来のクリーンアップ確実と評された高橋周平(東海大甲府→中日)らに注目が集まった2011年のドラフト。そのなかで、武田はソフトバンクから単独1位指名を受けてプロへと進んだ。
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