検索

145キロのストレートより怖かった110キロのカーブ 武田翔太が「ダルビッシュ二世」と呼ばれた本当の理由 (2ページ目)

  • 安倍昌彦●文 text by Masahiko Abe

 しゃがんでミットを構えると、その角度に圧倒される。アゴを上げていなければ、右腕がトップの位置に入る瞬間が見えない。全力で振り下ろされた速球は、まるでホームベース手前のピンクのリボンに突き刺さるかのように飛んできて、そこからもうひと伸びし、ミットに吸い込まれる。

 そしてカーブだ。

「1球、軽く投げてくれる?」

 そう頼んで投げてもらったカーブは、一瞬フッと浮き上がったかと思うと、そこから鋭く真下へ落ちてきた。軽く投げてくれたの最初の1球。それでも、その落下スピードは驚くほど速かった。

 そして本気のカーブが来た。リリースの瞬間の浮き上がりは小さかったが、真っすぐの軌道から垂直に折れ曲がるようにベース前のピンクのリボンに突き刺さった。

 速い......真っすぐだって145キロ前後は出ていたはずなのに、その球が怖く感じられないほど、カーブが速くて恐ろしかった。

【僕がお父さんの右腕にならないと】

 小学生の頃は水泳スクールに通い続け、自由形で宮崎県3位に入った実績を持つ。水泳で鍛えた肩甲骨の可動域は驚くほど広く、そのしなやかさは投球フォームにも生かされている。まさにスポーツ万能のアスリートだ。

 ブルペンで投げてもらう前、外野で一緒にストレッチをしながら、いろいろな話をした。私の柔軟性を見て、「すごく柔らかいですね」と、声をかけてくれた。前に何度も会っていたような人懐っこさ。笑顔も素朴で、「田舎ものですから」と照れくさそうに笑う姿に謙虚さがにじんでいた。

 中学時代に右ヒジを痛めて落ち込んでいた時、父から言われたひと言が忘れられないという。

「右がダメなら左があるじゃないか」

 じつは、武田の父は右腕の機能を失っていた。トラック輸送の仕事中の事故だった。切断も危ぶまれたが、整復手術によって腕を失うことは免れた。しかし、損傷した神経の機能が回復することはなかった。

「でも、父は左手だけで何でもできるんです。ボールを投げることも、打つことも、バットを振ることもできる。ソフトボールの監督もやっているんですよ」

2 / 4

  • Googleで優先するソースとして追加

Googleの「優先ソース」について

キーワード

このページのトップに戻る