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【プロ野球】優勝がかかった大一番の試合前、近藤貞雄は選手たちを集め「酒でもやって頑張ってくれ」とビールを振る舞った (4ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Yasuyuki Takahashi

 直後の日本シリーズは西武に2勝4敗で敗退。「地力の違い」を感じた平野だったが、翌1983年、背番号が3に変わるも「遊ぶ時に遊び過ぎて」と成績は下降。チームも故障者続出で5位に転落し、近藤は退任した。

【近藤貞雄と新庄剛志の共通点】

 その後、平野は中日のレギュラーに定着した。しかし星野が監督に就任した1987年、"いざこざ"がもとで、平野は西武へ移籍。常勝軍団の一員としてプレーするなか、近藤は日本ハムの監督に就任した。

「グラウンドで近藤さんにあいさつすると、『おい、あんまりいじめるなよ。いい加減にしろよ』って、いつも冗談を言う。当時、西武が強かったからね。それはそれで『頑張ってるな』っていうことの裏返しだと思って、喜んで話していました。もちろん、長話はできないけど、近藤さんと話すのが楽しくて。なんと言っても、僕の長い野球人生の生みの親で、大好きな野球人のひとりでしたから」

 1994年にロッテへ移籍した平野は、1996年限りで現役を引退。19年間の選手生活を終えると、NPB3球団をはじめ、社会人野球、韓国球界、独立リーグで指導者として経験を積み、現在はクラブチームの監督を務めている。指導者として長年現場に立ってきた平野から見て、近藤の野球が今につながるところはあるだろうか。

「ドラゴンズの監督時代、近藤さんだけがまったく違う野球をやっていたわけです。もし今、近藤さんが監督をやったとしても、きっと一番目立って、一番ユニークな野球をすると思います。いろいろなタイプの選手を使い、ファームの若手にもどんどんチャンスを与えて、その力を生かすでしょうね。

 そういう意味では、やり方は違いますけど、ファイターズの新庄(剛志)監督は似ていますね。1年目は選手をたくさん起用して、3年目で優勝争いができるチームになりましたからね。僕から見ても、本当におもしろい野球をやっていると思います」

(文中敬称略)

著者プロフィール

  • 高橋安幸

    高橋安幸 (たかはし・やすゆき)

    1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など

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