【プロ野球】優勝がかかった大一番の試合前、近藤貞雄は選手たちを集め「酒でもやって頑張ってくれ」とビールを振る舞った (2ページ目)
「今みたいに『痛い』と言ってすぐ交代して、治ったらまたすぐ試合に出られる時代じゃなかったですからね。レギュラーは『自分のポジションは絶対に誰にも渡さない』という世界でした。ピッチャーが完投すれば、出場した9人だけで試合を終えることも珍しくなかった。だから、そんな時代に僕みたいな選手を残して使ってくれた近藤さんには、いくら感謝してもしきれないんです」
スタメンは打力を優先し、多少守備に不安があっても目をつぶる。味方がリードしたら、後半は内外野を問わず守備固めを投入し、抑え投手で逃げきる。今では当たり前となった戦い方だが、当時は極めて先進的で、だからこそ近藤は平野のような選手を生かした。
【ユニフォームを着たら責任を持て】
その平野にプロとしての自覚やレギュラーの心得を教えたのはベテランの星野だったが、監督の近藤からは、どのような指導を受けたのか。
「指導というより、近藤さんの言葉がありがたかった。チームの状態が悪い時に全体ミーティングにたまに来るんだけど、その時に言うわけです。『ユニフォームを脱いだら、別に門限も何も関係ない。だけど、ユニフォームを着たら責任を持ってやれよ。おまえらは野球やってお金をもらってるんだから、ちゃんと仕事ができるような状態だけは整えろよ。それができないと問題になる』と。この近藤さんの言葉は、メリハリっていうところで、僕にはすごくありがたかった」
2番に定着した平野は、この年、リーグ最多の51犠打を記録。打率.350、出塁率.418を誇る田尾安志を確実に二塁へ送り、ケン・モッカ、谷沢健一、大島康徳の中軸へとつないだ。
一軍で生き残る武器を身につけるため、平野はキャンプからバント練習に集中的に取り組んでいた。スイッチヒッターへ転向した当初は、慣れない左打席で思うようにバントを決められないことも多かった。それでも試行錯誤を重ね、自分なりに工夫を積み重ねていった。
「みんなが帰ったあと、ひとりでマシン相手にずっと練習していました。誰も教えてくれなかったから、すべて我流です。それで試合になると、近藤さんが『足があるんだから、ただ送るだけじゃもったいない。とりあえずワンストライクまではセーフティーをやれ』と。決まればそれでいいし、たとえファウルになっても、そのあとに送りバントを決めればいいということで」
2 / 4


