【プロ野球】戦力外候補から一転、平野謙を救った近藤貞雄の慧眼 「打たなくてもいい」から始まったアメフト方式の野球とは? (4ページ目)
平野の場合、「攻守走」のうち「守走」が光っていた。1つどころか2つも長所を持っていたからこそ、近藤監督1年目の1981年2月のキャンプでは一軍に抜てきされたのだろうか。
「最初は二軍で、一軍の走塁練習の時に呼ばれました。外野からの送球があるなかで、ランナーが一塁からエンドランで三塁に走るという練習でした。僕はライトに入って、エンドランだろうが何だろうが、ことごとくランナーを刺したんです。そしたら首脳陣が『なんだ? 走塁の練習にならないじゃないか』って言い出したようで。そのあと一軍のオープン戦に連れていってもらいました」
【星野仙一のひと言で一軍定着】
その後のオープン戦では、持ち前の強肩で星野仙一を驚かせた。二死二塁の場面で、中堅を守る平野のもとへ打球が飛んだ。平野がすかさず本塁へ送球すると、低く伸びたボールはノーバウンドで捕手のミットへ。マウンドから本塁のバックアップに入ろうとしていた星野の目の前で、二塁走者はタッチアウトとなった。
チェンジになってベンチへ戻ると、星野は「こんな送球できるヤツ、どこにおるんや!」と言った。ベテラン右腕のひと言が、平野の一軍定着を決定づけた。
1981年4月4日、後楽園球場で行なわれた巨人との開幕戦。平野は8回に代走でプロ初出場を果たす。先発して最後まで出場したのは3番・一塁の谷沢健一、4番・三塁の大島康徳のみ。対照的に、3対1で勝った巨人は西本聖が完投し、先発全員がフル出場した。
同7日、ナゴヤ球場でのヤクルト戦では左翼のレイ・コージに代わって平野が中堅に入り、初めて守備固めで出場。中堅で先発の田尾安志が左翼に回り、内野では富田勝に代わって柳沢が二塁。この試合でもアメフト方式が適用され、中日がシーズン初勝利を挙げた。近藤はこう言っている。
「個々の選手の総合力では劣るかもしれない。攻守走の三拍子揃った選手がウチには少ないからね。でも、打つだけ、守るだけならトップクラスのものを持っている。それらの選手をうまく噛み合わせるのが僕の役目。一本では弱い矢も三本なら......というやつですよ」
(文中敬称略)
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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