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【プロ野球】戦力外を乗り越えたヤクルト・増田珠の逆襲 「どこからも声がなければ語学留学するつもりだった」 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Seiya Shimamura

「ヤクルトではチャンスが多いとか、ライバルが少ないという話ではなくて」と前置きしたうえで、次のように語った。

「ソフトバンクは本当に選手が多くて、ライバルもたくさんいました。チャンスも限られていたので、心から野球を楽しめていたかというと......。もともとは野球が大好きで始めて、プロ野球選手になった。その原点を少し見失いかけていたところもありました。でも、ヤクルトにもう一度チャンスをいただけた」

【指揮官が語った「ヤクルト向きの選手」】

 ただ、ソフトバンクでの苦しい時間は、結果として増田の財産になった。

「そうですね。人の成功を素直に喜べるようになりました。27歳になりましたし、精神的にも少し大人になったのかもしれませんが、仲間の活躍を素直に喜んで、みんなで勝利を目指していく。今はそこにしっかり向き合えている実感があります」

 池山監督は、増田を次のように評した。

「思いきりのよさがあり、長打力も秘めている。この先はよかったり悪かったりの繰り返しだと思うので、そこで自分に負けないように、自分をしっかりコントロールすることがレベルアップにつながっていくのかなと。彼はムードメーカーでもありますし、ヤクルト向きの選手だと思っています」

 増田は今後のプレーについてこう語った。

「バッティングでは、自分が理想としている打球を常に意識しながら練習しています。ホームランを打ちたいですし、たとえフェンスを越えなくても長打になるような打球を追い求めています。

 あとは、ファンの方から『元気で楽しそうにプレーしている姿が好きです』と言っていただくことが多いんです。もちろん苦しい時もあります。でも、それも含めて『増田はいつも野球を楽しんでいるな』と思ってもらえたらうれしい。これからも、そんな姿を見せていきたいですね」

 チームは開幕から快進撃を続けてきたが、ここにきて苦しい戦いを強いられている。それでも、増田が見せる力強いバットと周囲を明るくする"元気"は、チームが再び上昇気流に乗るための大きな力となるはずだ。

著者プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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