【あの人は今】プロ野球引退後に40歳で教員免許取得 元ベイスターズドラ1・田中一徳がたどり着いた「教師として甲子園を目指す」という夢 (3ページ目)
【1992年以来の甲子園を目指す日々】
── 2023年からは鹿児島第一中学校・高校、そして2025年からは山口県鴻城高校で教壇に立たれています。普段の授業では、どのようなことを心がけているのでしょうか。
田中 コミュニケーションを大事にしたいと思っています。学校での出来事をグラウンドで話すこともありますし、授業の合間に野球の話を盛り込むこともあります。また、野球部以外の生徒たちには、松坂大輔投手と対戦した話など、現役時代のエピソードを話すこともありますね。
教員になって感じるのは、「部活動を一生懸命頑張る生徒は、授業にも真剣に取り組む」ということです。そうした姿を日常的に見ることができるようになりました。振り返ると、「生徒たちの普段の生活を見ながら関わりたい」という思いで教員を目指したことは、間違っていなかったのだと思います。グラウンドだけでは見えなかった一面を知ることができますし、それが指導にも生きていると感じています。
── 山口県鴻城高校は、PL学園の先輩である清水孝悦総監督、田村智監督、そして田中部長という体制でチームを率いています。
田中 これまで3度甲子園に出場していますが、最後の出場は1992年です。ですから、まずは1992年以来となる甲子園出場を目標にしています。2025年秋には46年ぶりに中国地区大会へ出場することができましたし、その結果、2026年選抜大会の21世紀枠中国地区候補校にも選んでいただきました。少しずつですが、チームは前に進んでいると感じています。
── どういう野球を目指していますか。
田中 「守りのチーム」「攻めるチーム」と最初から決めつけるのではなく、その年のメンバーを見ながら、どんな野球が合っているのかを考えています。選手の特徴を見極めてチームの方向性を決める判断力も大事だと思うんです。もちろん、野球の技術は大切です。でも、それ以上に「人として」という部分を大事にしています。野球だけでなく、人間的にも成長してほしいという思いで日々指導しています。
── 当面のライバルは高川学園高や下関国際高ですね。
田中 はい、頑張ります。応援よろしくお願いします。
田中一徳(たなか・かずのり)/1981年10月28日生まれ、兵庫県出身。PL学園高では1番打者として活躍し、1998年夏の甲子園では横浜高の松坂大輔から4安打を放つなど全国にその名を知らしめた。1999年ドラフト1位で横浜ベイスターズに入団。俊足巧打の外野手として期待されたが、思うような結果を残せず、2006年に戦力外通告を受け退団。その後、アメリカの独立リーグでプレーし、NPB復帰を目指したが、獲得する球団は現れず2008年限りで現役を引退した。引退後は拓大紅陵(千葉)、日本経済大などで指導者を務めながら、教員免許を取得。現在は山口県鴻城高校の社会科教諭として教壇に立つ傍ら、硬式野球部部長として選手たちの育成に力を注いでいる。
著者プロフィール
飯尾哲司 (いいお・てつじ)
静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)
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