大野雄大の豪速球に本気で震えた日 逃げ出したい気持ちを引き留めた異次元のクロスファイヤー
流しのブルペンキャッチャー回顧録
第6回 大野雄大(中日)
私はサウスポーを苦手にしていた。なぜか。中学から野球を始めてこのかた、サウスポーとの出会いがほとんどなかったからだ。わずかに、早稲田大学野球部の同期にとても技量優秀な左腕がいたのだが、入部まもなくのブルペンで、彼の「かみそりクロスファイアー」に我がミットはまったくついていけず......。
「おまえ、もうええわ」
たちまち見切りをつけられてしまい、それ以降、左腕とのめぐり合いはほぼなかった。もしかしたら、学生時代のそんなこんながトラウマになり、無意識に避けていたのかもしれない。
これまで受けてきた投手のなかで、一番速かった投手は誰かと聞かれれば、東北高の高井雄平(元ヤクルト)と答えていた。受けた時の最速は144キロだったが、体感では軽く150キロを超えていた。
「安倍さん、これ、保険入ってんの?」
立ち会ってくれた若生正廣監督(当時)が案じてくれて、危ないからそのへんでやめとこうか......とタオルが投げられたところで幕となった。
全投手のなかで最速だと認める投手が「苦手な左腕」であったことは、私のトラウマをさらに助長した。
佛教大時代の大野雄大 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【拭えぬ左腕への苦手意識】
そんな恐怖心を拭えないまま迎えた2010年、私は京都へ向かっていた。佛教大学の野球部グラウンドは、京都駅から山陰線に乗り、少し山あいへ入った亀岡という町にあった。
監督室を借りてユニフォームに着替えていると、ノックもなくドアが開き、大野雄大投手のでかい体がヌッと現れたから驚いた。
「監督から、投げろって言われたんですけど、ほんとに受けるんですか?」
とりあえず、いつものようにギュッと握手して、「そうだよ......」と答えると、彼は不敵な笑みを浮かべた。
「大丈夫っすか? けっこう速いっすよ、自分」
すでに十分に気後れしていた私に、さらに追い打ちをかけるようなセリフ。だが、その笑顔が初めて会ったような気がしなかったので、「これはなんとかなるかな......」と、少しだけ冷静さを取り戻したのを覚えている。
著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。




















