命がけで受け続けて25年 ドラフト1位クラス200人超のボールを捕った男が語る澤村拓一の衝撃 (3ページ目)
人は、会ってみないとわからない。
「高校(佐野日大高)に入ってすぐメンバーに入れてもらって、もうその夏頃には、オレってすごいなんて思っていました。だから、そこから先は、ずっと伸び悩みでした」
言いにくいはずのことも、はっきりと話す。ピッチングそのままに、速球勝負でガンガン飛ばしていく。
「高校では、最後まで3番手か、4番手。大学に入る時も、スピードは並みだし、武器になる変化球もなかったんで、リーグ戦で投げられるなんて思えませんでした。もう、不安だけでしたね」
それが、「鬼の東都」で4年間通算26勝(1部19勝、2部7勝)。2年春に2部だった中央大を1部リーグに引き上げる推進力となって、3年秋には神宮球場最速記録の156キロをマーク(4年春に157キロを更新)していた。
山崎が、こんな逸話を言い添えてくれた。
「1年の春に入寮した時、1年生って、風呂に入るのも最初はオドオドして、『失礼、します......』って感じじゃないですか。それが、澤村だけ、『ちゅーす!』みたいな感じで、平気な顔でズカズカ入ってきて。なんか、1年じゃないような異様なムードでしたね、最初から。たとえば自主練も、最初の頃は何やっていいのかわからないのに、澤村だけは、坂道ダッシュ50本とか、自分からガンガンやってるし。まるで、上級生ですよ」
澤村は目をギラつかせながら、言葉に気合を込める。
「自分としては『やる!』って思ったことは必ずやるって決めているんで。ハイ」
澤村拓一(さわむら・ひろかず)/1988年4月3日生まれ、栃木県出身。佐野日大高から中央大に進学し、東都大学リーグで最速157キロをマークするなど剛腕として名を馳せる。2010年ドラフト1位で巨人に入団。1年目に11勝を挙げ新人王を受賞。15年からはクローザーに転向し、翌16年に最多セーブのタイトルを獲得した。20年途中にロッテへ移籍。翌21年から米大リーグのレッドソックスでプレーし、2年間で104試合に登板。23年にロッテへ復帰し、25年限りで現役を引退した
著者プロフィール
安倍昌彦 (あべ・まさひこ)
1955年、宮城県生まれ。早稲田大学高等学院野球部から、早稲田大学でも野球部に所属。雑誌『野球小僧』で「流しのブルペンキャッチャー」としてドラフト候補投手のボールを受ける活動を始める。著書に『スカウト』(日刊スポーツ出版社)『流しのブルペンキャッチャーの旅』(白夜書房)『若者が育つということ 監督と大学野球』(日刊スポーツ出版社)など。
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