「興奮しないでやりましょう」はなぜ切り取られたのか 江川卓が同級生・遠藤一彦に語った「空白の一日」の真実 (3ページ目)
1983年に最多勝と沢村賞、84年にも最多勝をマークするなど大洋のエースに君臨した遠藤一彦 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【遠藤一彦が今も誇る1つの勝ち越し】
遠藤と江川は通算11試合で投げ合い、遠藤が5勝4敗と1つ勝ち越している。なかでも、江川から初めて白星を挙げた試合は、いまも克明に覚えているという。1982年9月21日、横浜スタジアムで行なわれた大洋対巨人戦。3対2で13奪三振の完投勝利だった。
この1勝は、遠藤にとって大きな意味を持った。かつて憧れていた江川に勝ったことで大きな自信を得て、打者を見下ろすような感覚で投げられるようになったという。その変化が、翌年からの2年連続最多勝へとつながっていった。
しかし、当の江川はその試合をまったく覚えていない。遠藤もまた、「江川が覚えているはずがない。こっちのことなんて、何の印象もないんだから」と終始ツッコミを入れながら語る。
世代ナンバーワン投手である江川を強く意識し、マウンド上で滾る思いを胸に秘めながら、遠藤は投げ合ってきた。そうして自らを高め、成長を遂げていったのである。
この対談でも遠藤は、「今日は江川と投げられると思って、最高のピッチングができました。巨人だからではなく、江川と投げ合うことで気持ちが高ぶる。こんなピッチャーは、江川以外にいません」と断言した。
江川が遠藤を下に見ていたわけでは決してない。抜群のコントロールに加え、球の回転、スピード、決め球であるフォークボール。どれを取っても一流のボールだと認めていた。実際に投げ合っても、常に1点を争うような緊迫した好勝負を演じさせられた。
ただ、江川はさらに別次元の意識でマウンドに立っていた。それが、怪物であり、天才と呼ばれる所以でもある。遠藤もまた、そのことを肌で感じていた。だからこそ、そこに怒りはなく、「そりゃ、江川だからな」と納得する。
江川卓と遠藤一彦。同世代の大学出身投手として、ともに最多勝を2度獲得し、通算勝利数も江川が135勝、遠藤が134勝と、数字はほぼ互角だ。ただ、直接対決の成績で遠藤が5勝4敗と勝ち越していることは、彼にとって大きな勲章になっている。誰もが畏怖の念を抱き、そして憧れた江川に、1つ多く勝っている。その事実だけで、遠藤にとっては十分なのだ。
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日生まれ。福島県出身。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
遠藤一彦(えんどう・かずひこ)/1955年4月12日生まれ。福島県出身。学法石川高から東海大に進み、首都大学リーグで通算28勝をマーク。77年、ドラフト3位で大洋(現・DeNA)に入団。プロ2年目の79年に12勝8セーブで頭角を現すと、82年から6年連続2ケタ勝利。83年に最多勝、沢村賞を獲得し、翌84年も最多勝。87年にアキレス腱断裂の大ケガを負うが、90年に6勝21セーブでカムバック賞を受賞。92年に現役引退。通算成績は134勝128敗58セーブ。97年から2003年まで横浜の二軍投手コーチ、一軍投手コーチを務めた
令和に蘇る怪物・江川卓の真実。
光と影に彩られた軌跡をたどる評伝が刊行!!
『怪物 江川卓伝』 (著・松永多佳倫)
2025年11月26日(水)発売
作新学院高校時代から「怪物」と称され、法政大学での活躍、そして世紀のドラフト騒動「空白の一日」を経て巨人入り。つねに野球界の話題の中心にいて、短くも濃密なキャリアを送った江川卓。その圧倒的なピッチングは、彼自身だけでなく、共に戦った仲間や対峙したライバルたちの人生までも変えていった。昭和から令和へと受け継がれる"江川神話"の実像に迫る!

内容
はじめに
第一章 高校・大学・アメリカ留学編 1971〜1978年
伝説のはじまり/遠い聖地/怪物覚醒/甲子園デビュー/魂のエース・佃正樹の生涯/不協和音/最強の控え投手/江川からホームランを打った男/雨中の死闘/江川に勝った男/神宮デビュー/理不尽なしごき/黄金時代到来/有終の美/空白の一日
第二章 プロ野球編 1979〜1987年
証言者:新浦壽夫/髙代延博/掛布雅之/遠藤一彦/豊田誠佑/広岡達朗/中尾孝義/小早川毅彦/中畑清/西本聖/江夏豊
おわりに
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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