【プロ野球】都立高出身から1億円プレーヤーとなった秋吉亮が明かす「ブレずに貫いたサイドスローの哲学」 (4ページ目)
── 現役時代の平均奪三振率8.24個は、リリーバーらしく高いです。
秋吉 特に三振を狙っていたわけではないですし、本格派だとも思っていませんでした。たとえば、巨人の大勢投手はストレートが多めですが、自分はストレートと変化球の割合は半々くらいで、スライダーが得意だったのでカウント球としても使っていました。
── 2015年の日本シリーズは、ソフトバンクに1勝4敗。印象に残っていることは?
秋吉 当時のソフトバンクは、特に強かったですね。どのバッターもすごいスイングをしていました。なかでも柳田悠岐選手は球界を代表する強打者でした。ただ、柳田選手もそうですが、当時オリックスの吉田正尚選手(現レッドソックス)といった強打者との相性はよかったと思います。
── セットアッパーとクローザーの違いは何だと思いますか。
秋吉 どちらも基本1イニングというのは変わらないのですが、セットアッパーは相手の先頭が右打者なら右投手、左打者なら左投手が投入されることが多いです。一方のクローザーは左右に関係なく登板しますし、チームを勝利に導くのが仕事です。両方やりがいはありましたが、自分的には最後を締めるクローザーのほうが好きでした。
── 推定年俸は1億1000万円まで行きました。
秋吉 投げれば投げるほどお金はもらえますし、逆に結果を出さなければ二軍に落ちて、お金ももらえない。プロはそういう世界だと思います。
秋吉亮(あきよし・りょう)/1989年3月21日生まれ。東京都出身。都立足立新田から中央学院大、パナソニックを経て、2013年ドラフト3位でヤクルトに入団。1年目から中継ぎとして頭角を現し、2年目の15年にはチーム最多の74試合に登板して日本一に貢献した。17年には侍ジャパンの一員として第4回WBCに出場。6試合に登板して防御率0.00の好成績を挙げる。18年オフにトレードで日本ハムに移籍。19年は自己最多となる25セーブをマークした。21年オフに自由契約となり独立リーグでプレー。22年のシーズン途中、ソフトバンクに入団するも同年オフに戦力外を受ける。23年は選手兼コーチとして独立リーグに復帰するも、同年限りで退団し現役を引退。現在は講演、技術指導など野球の普及活動に励んでいる
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