【プロ野球】都立高出身から1億円プレーヤーとなった秋吉亮が明かす「ブレずに貫いたサイドスローの哲学」 (2ページ目)
── 高校2年秋に投げ合った早稲田実業の斎藤佑樹投手(元日本ハム)とは同世代なのですね。高校3年夏は、東東京大会で母校を初のベスト4へと導きました。
秋吉 佑ちゃん(斎藤佑樹)はすでに有名でしたので、負けたとはいえ接戦(1対3)だったことは、やはり自信になりました。高校3年夏はもちろん甲子園が目標でしたが、1年からずっと練習をつづけてきた成果が、ベスト4という結果につながったのだという自負はあります。
── 都立高から甲子園に出場したいという特別な思いがあったのではないですか。
秋吉 3年夏は4回戦から3試合連続完封勝利のあと、準決勝の帝京戦で敗れました。練習量や環境設備など、私立高のほうが恵まれているでしょうが、私立の強豪を倒さなければ甲子園の土を踏めませんし、自分自身も注目されません。当時の帝京には中村晃選手(ソフトバンク)や杉谷拳士選手がいました。
【大学、社会人で大舞台を経験】
── 大学は中央学院大に進まれましたが、どのような経緯で決まったのですか。
秋吉 東東京大会ベスト4に入って、いくつかの大学からお話をいただいたのですが、千葉県大学野球連盟の1部であることや実家から通えるなど、総合的に判断して選びました。4年春のリーグ戦でMVP、全日本大学選手権にも出場しましたし、4年は春秋とも最多勝投手になれました。
── 大学卒業後は社会人野球のパナソニックに進まれますが、プロ入りは考えなかったのですか?
秋吉 大学でそこそこの成績は残せたのですが、社会人野球でもっとレベルアップしてからでも遅くないと思い、最初に声をかけていただいたパナソニックに入社しました。2年目に都市対抗でベスト8、日本選手権ベスト4。プロからの打診もあったのですが、会社への恩返しもあって、もう1年残ってからプロ入りしました。
── 当時、戦っていたなかでプロ入りした選手はいましたか。
秋吉 大阪ガスの松永昂大投手は2012年ドラフト1位でロッテ、公文克彦投手も同年4位で巨人に指名され入団しました。あと日本生命の小林誠司選手は2013年にドラフト1位で巨人入りしました。
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