「失格になったことへの償いがどうやったらできるか」高梨沙羅が模索してきた自身とスキージャンプ界の未来
高梨沙羅インタビュー 後編
前編はこちら>>高梨沙羅が振り返るミラノ・コルティナ五輪の銅メダル
2025-2026年シーズンは、ミラノ・コルティナ五輪に重きを置いてスタートしたというスキージャンプの高梨沙羅(クラレ)。結果として、混合団体で見事、銅メダルを獲得した。4年前の北京五輪混合団体で経験した失格の悔しさや、申し訳なさなど負の感情が報われた結果となった。
その経験を振り返るほか、女子スキージャンプの発展とともに成長してきた高梨だからこそ、描けるスキージャンプ界の未来と今後の活動について語ってもらった。
選手としての枠を超えたの活動についても語った高梨沙羅 photo by Shogo Murakami
【銅メダル獲得で生まれた感情】
――ミラノ・コルティナ五輪の混合団体で銅メダルを獲得し、報われたからこそ、4年前の失格という経験はどういうものに変わりましたか?
「忘れてはいけないことだと思います。今回メダルを獲れたからすべてが解消されるというわけでもないですし、スキージャンプをやっている以上は心にずっとあるものだと思います。
正直、日本には強い選手もたくさんいるので、(北京五輪が終わったあとは)自分が4年後の団体戦に出るべきなのか、ということも考えていました。だから銅メダルが決まった時は、うれしいのはもちろん、ホッとした気持ちのほうが大きかったですね。2本の合計ポイントも強いアイリンマリア・クバンダル選手(ノルウェー)とニカ・プレブツ選手(スロベニア)に次ぐ3番でしたし、感覚的にもこのシーズンで一番いいジャンプだと思えたので、やりきったと思えました」
――北京五輪のあとから、ずっとあきらめずに続けてきた結果だとも言えますね。
「この2シーズンは表彰台にも乗れませんでしたが、オリンピックがあったから続けてきたという感じです。北京五輪後ここから4年間続けると考えた時に、スキージャンプ界に貢献できないと続ける意味がないかなと思って、いろいろな活動をしました。これから出てくる若手の子たちが活躍できる場や、スキージャンプ界の環境を整えていくにはどうしたらいいかと考えながら取り組んでいました。
それが正解だったかはわからないですが、自分にとってはそこはやるべきだとは思っていました。『失格になったことへの償いがどうやったらできるか』と考えた時に、スキージャンプ界のためになることをしていこうと決めて走り続けた4年間だったと思います」
――具体的には2023年に始動した「JUMP for The Earth PROJECT」の活動や、昨年で9回目になった「クラレ高梨沙羅カップ・ジュニアサマージャンプ大会」の開催などですね。
「スキージャンプが軸にはなりますが、子どもたちの試合や、少しでもスキージャンプに興味を持ってもらえるようなイベントを考えていました。そういう活動を通して、W杯を観てくれる方にどうやったら気持ちよく観てもらえるかなとか、とにかくスキージャンプ界について考えていて、この4年間はすごく濃密だったと思いますし、長く感じました」
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著者プロフィール
折山淑美 (おりやま・としみ)
スポーツジャーナリスト。1953年、長野県生まれ。1992年のバルセロナ大会から五輪取材を始め、夏季・冬季ともに多数の大会をリポートしている。フィギュアスケート取材は1994年リレハンメル五輪からスタートし、2010年代はシニアデビュー後の羽生結弦の歩みを丹念に追う。

