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【プロ野球】「選手たちの目は死んでいた」 髙津臣吾が振り返る監督就任時の衝撃とチーム再建までの軌跡 (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

── 神宮で迎えた阪神との開幕3連戦は3連敗でしたが、その後は持ち直し、3・4月は14勝10敗4分と好スタートを切りました。

髙津 ただ、「これじゃいかん」と強く思ってもいました。9月の終わりから10月にかけて、先発ローテーションや打線をいい形で組めることが大事なのですが、そこにたどり着くまでの数カ月でやられてしまっては元も子もありません。チームの形や勝ち方、逆に言えば負け方も含めて、早い段階でイメージできるものにしなければならないと感じていました。

 やられる時というのはたいてい同じで、「ミスをしました」「四球が絡みました」「走者を送れませんでした」といったパターンが多いんです。一方で勝つイメージは、「この人が踏ん張って」や「この人が打って勝つ」といった形が、当たり前のことなのですが、当時は思い描けていなかったですね。

── コロナ禍はつづき、夏には東京五輪開催による中断期間もありました。

髙津 日程のことや時間の使い方など、今後どうなっていくのかわからないまま、シーズンを過ごしていたように思います。監督を務めるなかでそうした経験を重ねたことで、自分なりに強くなれたと感じましたね。何が起きても不思議ではないし、どんな状況でもクリアしなければならない。それがこの仕事なのだと思います。そういう意味では、自然と腹が据わっていた気がします。

【ミーティングでの「絶対大丈夫!」】

── チームは粘り強く戦い、9月7日の阪神戦の試合前ミーティングで「絶対大丈夫!」と、選手たちに伝えました。

髙津 ホテルを出て甲子園へ向かう際、「今日はひと言話します」と出発前に伝えていました。目の前とまではいかないまでも、すぐ近くにチャンスがぶら下がっている。それを絶対に逃してはいけない。やれることはすべてやろう、と。もちろん、うまくいかないこともありますが、どうせ失敗するなら、やって失敗しよう。そんな思いを選手たちに伝えたかったんです

 バスの中では、「最後はリラックスして」「自信を持って」といった、技術以外の部分で気持ちよくプレーできるようにと考え、この言葉かなと。死んでいた目を輝かせたい。今できることを全力でやって、あとで後悔することがないように。そのことを伝えたかった。

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