【プロ野球】「選手たちの目は死んでいた」 髙津臣吾が振り返る監督就任時の衝撃とチーム再建までの軌跡 (3ページ目)
── チームが苦しい時期に、「しっかり我慢して準備して努力することを続けていきたい。チームがお祭り騒ぎのなかで野球ができる瞬間を待っています」と言葉にしました。お祭り騒ぎのなかの野球とは?
髙津 これは"野村野球"ですよ。厳しかったですけど、楽しかったですもんね。野村(克也)監督って堅くて、ルールがたくさんあると思われがちですけど、基本的には選手に任せて「思いきってやってこい」という野球でした。勝ったり、負けたり、一喜一憂して、勝ってワイワイやろうぜというところでの発言でした。
【リーグ屈指の強力打線完成】
── 翌21年、打線は前年固定できなかった5番打者候補に内川聖一選手、ホセ・オスナ選手、ドミンゴ・サンタナ選手を補強。山田選手と村上選手を3、4番に並べて、1番を任せた塩見泰隆選手のポテンシャルが開花。打線はリーグ屈指の破壊力を誇りました。
髙津 ノリ(青木宣親)が2番に入ることで、いいジグザク打線になりました。塩見のスピードと長打力に出塁率、ノリの一、二塁間に打つバッティングなどを考えると、相手に一番プレッシャーがかかる打順なのかなと。サンタナとオスナの打順を入れ替えたり、下位に置いたりしたのですが、ふたりの加入は大きかったですね。
前年の(アルシデス・)エスコバーはホームランが1本で、ちょっと寂しかったので(笑)。村上は4番に固定したとしても、打線のバリエーションというか、ふたりがいることでいろんなことを試しながら、カチッと完成形に導けていけたらと思っていました。
── 一方の投手陣は、先発ローテーションに関して、春のキャンプの段階で小川投手、アルバート・スアレス投手は決まるも、3番手以降は不透明で「高いレベルの競争ではない」とおっしゃっていました。
髙津 どの年も、暗い話題は投手陣ばかりですね(笑)。投手出身の僕から見ると、リリーフ陣のやりくりは自信がありました。ただ先発に関しては、6人では絶対に足りないと思っていて、キャンプでは9人、10人といろいろイメージしましたが、高いレベルではなかった。やりくりに苦労しましたね。
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