【プロ野球】大学中退、引きこもり、アルバイト生活...元ロッテ・岡田幸文が振り返るプロ入りまでの壮絶人生
元ロッテ・岡田幸文インタビュー(前編)
名門・作新学院で甲子園出場を果たせず、大学では左ヒジのケガのより中退。そんな挫折の日々を経て、クラブチームの「全足利クラブ」で再びグラウンドに立った岡田幸文。数々の困難を乗り越え、育成ドラフト6位でロッテ入りを果たすまでの道のりには、あきらめず挑戦し続ける姿勢と家族の支えがあった。
2008年に育成ドラフト6位でロッテに入団した岡田幸文氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る
【全治1年の診断を受け大学中退】
── 岡田さんは高校野球の名門・作新学院の出身です。2年夏の栃木大会決勝で会田有志投手(のちに巨人)を擁する佐野日大高に敗れるなど、高校3年間で甲子園出場はかないませんでした。
岡田 2年秋からは主将をやらせてもらいました。3年夏は4回戦で那須拓陽に0対2で敗退。甲子園を目指すなかで、技術以上に野球を通じて礼儀や人間力、そして「最後までやり抜く力」を学んだ3年間でした。厳しかった思い出が強いですね。
── 高校卒業後は日本大に進みますが、1年の時に利き腕の左ヒジを手術し、全治1年と診断されて中退しました。引きこもっていた時期もあったそうですね。大学生活を続けて教員になり、高校野球を指導する道などは考えなかったのですか?
岡田 自分は選手としてプレーすることしか頭になかったので、教員になって野球を教えるなどはまったく考えなかったですね。周囲から期待されたのに、ケガで大学をやめて帰ってきたという挫折......。近所の目なども気にするようになって、閉じこもったのです。
── やがてヒジが完治し、足利給食センターや足利ガスで働きながら、2004年からはクラブチームの「全足利クラブ」でプレーするようになったのですね。
岡田 野球もやらず、一日中ずっと家にいては収入もありません。全足利の1歳上の先輩が、「ヒジが治ったならウチでやればいいじゃないか」と誘ってくれたのです。
── 給食センターでどんな仕事をしていたのですか?
岡田 全足利は社会人のクラブチームだったため、当時のマネージャーの紹介で給食センターでのアルバイトを始めました。仕事内容は、委託先の食堂へ食材を配送する業務でした。その後、社員として入社した足利ガスでは、プロパンガスボンベの交換を担当しました。
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