【プロ野球】大学中退、引きこもり、アルバイト生活...元ロッテ・岡田幸文が振り返るプロ入りまでの壮絶人生 (2ページ目)
【入団テストを経て育成でプロ入り】
── 全足利での1年目には、1番・センターとして全日本クラブ選手権優勝にいきなり貢献しました。プロを現実的に意識し始めたのは、いつ頃だったのでしょうか。
岡田 じつは高校3年の時、プロから指名されると思っていました。プロか社会人野球に進むつもりでいたのですが、プロからの指名はもちろん、社会人野球からの誘いもありませんでした。
── それぐらい自信があったのですね。
岡田 調子に乗っていましたね(笑)。
── クラブチーム5年目に、育成ドラフト6位でようやくプロ入りを果たします。
岡田 じつは、その2年ほど前からプロからの打診はありました。ただ、せっかくなら"本指名(支配下)"のほうがいいと思っていました。しかし、クラブチームの選手が本指名される前例はほとんどありません。ロッテからも「申し訳ないが、ドラフト前に入団テストを受けてみてくれないか」と言われました。
── 全足利出身には、プロ通算50勝を挙げた小倉恒投手(1992年ヤクルトドラフト7位)がいます
岡田 本指名を待っていていつまでもプロ入りできないよりも、まず入団テストをクリアし、たとえ育成指名であってもプロの世界に飛び込んでみようと考え直したのです。
── 日大1年時の同期である長野久義さんは、巨人入りを希望してロッテからの指名を拒否して、社会人野球のHondaに進んだのですね
岡田 私は大学をやめていたとはいえ、複雑な心境で、当時はいろいろな思いを抱いていたことを覚えています。悔しさを、いい意味で反骨心に変えて、もっと頑張ろうと思いました。遠回りはしましたが、それでもプロ入りのスタートラインに立ったわけです
【妻はプロ入りに大反対】
── 2006年、22歳の時に11歳年上の女性と結婚。2008年に育成ドラフト6位で指名されました。すでに子どもが2人いたためプロ入りに反対されましたが、「2年ダメならやめるから」と説得したとお聞きしました。
岡田 妻には大反対されました(笑)。妻は足利市の職員で、「全足利」の後援会の事務局を手伝っていたことをきっかけに知り合いました。
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