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【プロ野球】大学中退、引きこもり、アルバイト生活...元ロッテ・岡田幸文が振り返るプロ入りまでの壮絶人生 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── ファームはロッテに限らず、プロとはいえ必ずしも恵まれているとは言えません。

岡田 ハングリー精神を学びましたね。とにかく背番号132を支配下枠の2ケタにしないことには、一軍の試合に出られません。プロ1年目は一軍出場こそありませんでしたが、支配下登録され、背番号はちょうど半分の66に変更されました。

── 当時、二軍の監督だった高橋慶彦さんが目をかけてくれたのですね。

岡田 高橋さんに言われたのは、「足を生かした守備」と「出塁するための打撃を磨く」ということでした。高橋さんの現役時代と同様に、ゴロを叩きつけて走るのが基本でした。

── プロ2年目に72試合に出場しました。プロでやっていけるという自信のようなものはつかめましたか。

岡田 自信はなかったけれど、「やるしかないな!」と。当時の(外野の)レギュラーには、単打を重ねて4番も打つサブロー選手、一発長打のある大松尚逸選手、俊足の荻野貴司選手らがいました。

── しかし、入団時の支度金100万円は、2009年末には年俸440万円となり、2010年オフには1000万円に跳ね上がりました。

岡田 奥さんの給料をやっと超えましたね(笑)。守備を前面に押し出せばなんとかやっていけるかなと徐々に思い始めたのです。

つづく>>

岡田幸文(おかだ・よしふみ)/1984年7月6日生まれ。栃木県出身。作新学院から日本大に進むも、左ヒジのケガにより中退。その後、全足利クラブでプレーし、2008年育成ドラフト6位でロッテに入団。10年に球団初の育成出身での一軍登録を果たすと、11年は全試合に出場しゴールデングラブ賞を獲得。プロ初打席から1773打席連続本塁打なしの新記録を打ち立てるも、圧倒的な守備力と走塁でチームに貢献した。18年限りで現役を引退し、その後はBCリーグ栃木のコーチ、21年から4年間は楽天のコーチを務めた

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