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今江敏晃が今も忘れない3人の名投手 「まともに勝負させてもらえなかった」「天井からズドーン!」「これぞプロの投球」 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 2006年に第1回WBCで一緒にプレーしたのは、最高の思い出だったのではないですか。

今江 本当に夢のような時間をいただきましたが、畏れ多くて......。初対面の時にあいさつしたのですが、緊張しすぎてまったく覚えていません。記憶があるのは、練習が始まってシートノックからです。三塁は岩村明憲さんと僕でしたが、ある時「ちょっと順番を変わってもらえないですか」とお願いしたんです。その理由は、イチローさんの"レーザービーム"を受けたかったからです。ライトからバックサードの送球を実際に受けて、「おお、これがあのレーザービームか」と、送球を待つわずかな瞬間、感動で体が震えました。

── WBCでは決勝でキューバを破って、世界一を達成しました。そういえば、同じWBCメンバーの川﨑宗則さんのイチローファンぶりも有名でしたね。

今江 福岡合宿の時、川﨑さんと僕はイチローさんに食事に連れていってもらいました。そこで本物のイチローさんを前にふたりして、「僕はイチローさんのこんなことを知っているぞ」と、"イチローマニア"ぶりを競っていました(笑)。僕はイチローさんの本を買って持っていましたから、けっこう知っていましたよ。

── 素顔のイチローさんはいかがでしたか。

今江 ユニフォームを着ている時は、「イチローを演じている」部分はあると思います。普段のイチローさんはとても気さくで、親切な方です。アメリカの自宅にも、川﨑さんと僕を招待してくれました。イチローさんの愛車に乗せてもらい、弓子夫人の手料理に舌鼓を打ち、愛犬・一弓とたわむれました。ふだんは人懐っこい一弓なのに、僕はかなり吠えられて「ゴリ(今江)はおそらく、動物のにおいがするんだな」って、イチローさんに笑われましたね(笑)。本当に貴重な時間を過ごさせてもらいました。先ごろの日米での野球殿堂入り、心から祝福申し上げたいです。

つづく


今江敏晃(いまえ・としあき)/1983年8月26日、京都府出身。PL学園から2001年のドラフトでロッテから3巡目で指名され入団。05年にレギュラーに定着し、132試合に出場して打率.310、8本塁打、71打点。阪神との日本シリーズでは8打席連続安打を記録するなど、チームの日本一に貢献しMVPを獲得。その翌年3月に開催された第1回WBCの日本代表に選出され、世界一に貢献。10年の中日との日本シリーズでも勝負強さを発揮し、自身2度目のMVPに輝いた。15年オフにFAで楽天に移籍し、19年限りで現役引退。20年から楽天のコーチに就任し、24年は一軍監督。チームを初の交流戦優勝に導くも、10月に監督契約解除が球団より発表され退団することになった。現在は評論家として活躍中

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