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今江敏晃が今も忘れない3人の名投手 「まともに勝負させてもらえなかった」「天井からズドーン!」「これぞプロの投球」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 最後のひとりは誰でしょうか。

今江 これも交流戦で戦った投手なのですが、三浦大輔さんです。カウント3ボールから、ストライクゾーンからボール球になるフォークを投げてきて、振らせようと誘ってきたのです。まさに「これぞプロの投球」という感じで、今でも印象に残っています。

── 具体的にどのあたりが印象的だったのでしょうか。

今江 ひと昔前のパ・リーグは、パワー系の投手が多くて、3ボールや2ボールになったら、ストレートで押すピッチャーがほとんどでした。でも三浦さんは、最後まで変化球で攻めてきた。もし僕の次の打者がピッチャーだったらその配球も理解できるのですが、次は1番打者でした。それでもストライクゾーンの際どいところに変化球を投じて、勝負をかけてきたのです。それ以外の対戦でも、三浦さんはコースギリギリのところに投げ分け、ストライクの出し入れをしてきました。腕の振りが同じで、どんな球種を投げるのか判断がつきませんでした。

── 三浦投手は、チームが弱かった時代が長くて通算184敗していますが、現役25年で172勝しています。

今江 通算奪三振数は、NPB歴代10位以内に入っていると聞きました()。最後まで勝負をかけて、結果的に奪三振数も伸びていったのでしょうね。驚くようなスピードボールがあるわけではないですし、バットに当たらない変化球を投げるわけではない。それでも投球術を駆使して、プロの世界であれだけの記録を残したのはすごいと思います。

※NPB歴代9位の2481奪三振

【イチローのレーザービームに身震い】

── 今江さんは、イチローさんの大ファンだったのですよね?

今江 1995年の阪神・淡路大震災の直後、「がんばろう神戸」を合言葉に、オリックスがパ・リーグを制しました。当時12歳で、京都に住んでいた僕にとってイチローさんはスーパースターでした。

── イチローさんのどのあたりが好きだったのですか。

今江 当時イチローさんは「dj honda」のキャップを後ろ向きに被って、ダボダボのデニムをはき、エアマックスのスニーカー、ベルトをたらすファッション。そのスタイルがカッコよくて、母親におねだりして似たような服を買ってもらいました(笑)。ほかにもイチローさんのポスターを部屋に貼り、下敷きや印刷のサイン入り色紙も、いまだに大事に持っています。そういえば、当時イチローさんは三ツ矢サイダーのCMに出ていましたね。

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