あのFA移籍した左腕もかつてはメンタル崩壊 高山郁夫が伝授する「自信を失った投手」の再生法 (3ページ目)
── 山﨑投手がちょうどプロの壁に苦しんでいた時期ですね。
高山 少し投げやりな時期があり、あることで強く叱りもしました。本来の福也は、素直さのなかに芯の強さも持ち合わせていました。なんとか迷いを消し、自身を客観視させてあげられれば、必ず前に進めると思ったのです。当時は場所を選ばず、話をした記憶があります。紆余曲折ありましたが、順風満帆にいかなかった時期が長かったからこそ、ここからの福也の活躍にいっそう期待しています。
── 高山さんの指導スタンスは、もはやカウンセラーに近いのではないかと感じます。
高山 それはないと思いますが......基本的にコミュニケーションが取れなければ、技術的な問題の解決にもなかなか結びつきません。相手の話を聞かないことには、すべてが想像になり、決めつけや固定観念が生じ、間違った評価をしてしまう可能性もあります。私は、まずそれが嫌なので、コミュニケーションは大切にしていました。
── 野球界のコーチと選手の関係性は、今や多様化しています。技術面は外部の機関に頼る選手も増えていますね。この点に関して、高山さんはどう考えていますか。
高山 所属球団の方針とスケジュールが基本だと思います。オフの12〜1月の2カ月間は、自分の意思で、興味ある施設でトレーニングを積むことは問題ないと思います。ただ、情報過多のこの時代、選択には十分に注意を払って、球団に属し、報酬を得ている自覚を持ったなかでレベルアップに励んでほしいと思います。
つづく
高山郁夫(たかやま・いくお)/1962年9月8日、秋田県生まれ。秋田商からプリンスホテルを経て、84年のドラフト会議で西武から3位指名を受けて入団。89年はローテーション投手として5勝をマーク。91年に広島にトレード、95年にダイエー(現ソフトバンク)に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は東京の不動産会社に勤務し、その傍ら少年野球の指導を行なっていた。05年に四国ILの愛媛マンダリンパイレーツの投手コーチに就任。その後、ソフトバンク(06〜13年)、オリックス(14〜15年、18〜23年)、中日(16〜17年)のコーチを歴任。2024年2月に「学生野球資格」を取得した
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著者プロフィール
菊地高弘 (きくち・たかひろ)
1982年生まれ。野球専門誌『野球小僧』『野球太郎』の編集者を経て、2015年に独立。プレーヤーの目線に立った切り口に定評があり、「菊地選手」名義で上梓した『野球部あるある』(集英社/全3巻)はシリーズ累計13万部のヒット作になった。その他の著書に『オレたちは「ガイジン部隊」なんかじゃない! 野球留学生ものがたり』(インプレス)『巨人ファンはどこへ行ったのか?』(イースト・プレス)『下剋上球児 三重県立白山高校、甲子園までのミラクル』(カンゼン)など多数。
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