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細川成也はなぜ中日に移籍して覚醒したのか? 和田一浩が伝えたアドバイスの中身 (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 中日の打撃コーチを2年間務めましたが、あらためて振り返ってみていかがでしたか。

和田 一概に打撃コーチといっても、技術を教えたり、配球を教えたり、小技などのチーム打撃を教えたり、多岐にわたります。ただ、いかに点を取るかということに特化した場合、点が取れなかったなという気持ちはあります。

── ただ、広いバンテリンドームを本拠地としているなど、なかなか厳しいところはありますが、それでも若手の成長は大いなる成果だと思います。

和田 選手たちは昨年の秋季キャンプ、2月の春季キャンプで自らの課題を自覚して、練習に取り組んでくれたと思います。今シーズン、さらなる飛躍を祈っています。

つづく


和田一浩(わだ・かずひろ)/1972年6月19日、岐阜県出身。県岐阜商から東北福祉大、神戸製鋼を経て、96年のドラフトで西武から4位指名を受け入団。30 歳でレギュラーに定着し、リーグ優勝、日本一に貢献したほか、2004年アテネ五輪、06年第1回 WBC では日本代表として日の丸を背負ってプレーした。08年からはFA 移籍で中日ドラゴンズへ。15年には史上最年長で2000本安打を達成し、名球会入りを果たした。引退後は野球解説者として活動する傍ら、少年野球の指導、講演などで活躍。23年から24年まで中日一軍打撃コーチを務めた

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