岩瀬仁紀はプロ人生唯一の先発マウンドに上がり、10勝目を挙げた「先発させてもらえないですか」とコーチに直訴 (4ページ目)
1002試合のうち唯一の先発登板は、00年10月8日の広島戦。7回7安打1失点(自責ゼロ)で勝利投手になった。シーズン終わり間際の"消化試合"とはいえ、9月30日のヤクルト戦まで57試合、リリーフで投げてきて中7日。ものの見事にアピールに成功した。
「結局、次の年、3年目もね、先発じゃなかったわけですけど(笑)。かといって、リリーフで生きていくとは決めてなかったんです」
先発願望を残しつつ、01年も61登板で8勝3敗、防御率3.30と十分な成績を残した。スリークォーター気味のフォームから投げる真っすぐはクセがあり、変化球はスライダーを筆頭に球種豊富でキレがある。なおかつ、コントロールよく、ほとんどの球が低めに散らされる。当時、そこまでレベルの高い中継ぎ左腕はほかにいなかった。
「でも、本当にコントロールがよくなっていたのは、谷繁(元信)さんが来てからです。何かアドバイスがあったわけじゃなくて、存在感ですよね、谷繁さんの。ピッチャーとしてはね......、あれは苦しいですよ」
(文中敬称略)
岩瀬仁紀(いわせ・ひとき)/1974年11月10日、愛知県生まれ。西尾東高から愛知大、NTT東海に進み、98年のドラフト会議で中日ドラゴンズを逆指名し2位で入団。入団1年目の99年シーズン途中から勝ちパターンの一角を担い、最優秀中継ぎ投手賞を受賞。その後も中継ぎで起用され、2004年からは抑えとして5年ぶりの優勝に貢献。07年の日本ハムとの日本シリーズの第5戦において、8回まで完全試合ペースの好投をしていた山井大介に代わり9回に登板。三者凡退に抑えてNPB史上初の継投による完全試合を達成。12年にはセ・リーグ史上最多の5度目、また最年長記録となる最多セーブのタイトルを獲得。18年9月28日の阪神戦でNPB初の1000試合登板を達成し、同年現役を引退。19年からは野球解説者として活動。25年に野球殿堂入りを果たした
著者プロフィール
高橋安幸 (たかはし・やすゆき)
1965年、新潟県生まれ。 ベースボールライター。 日本大学芸術学部卒業。 出版社勤務を経てフリーランスとなり、雑誌「野球小僧」(現「野球太郎」)の創刊に参加。 主に昭和から平成にかけてのプロ野球をテーマとして精力的に取材・執筆する。 著書に『増補改訂版 伝説のプロ野球選手に会いに行く 球界黎明期編』(廣済堂文庫)、『根本陸夫伝 プロ野球のすべてを知っていた男』(集英社文庫)など
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