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祝・殿堂入り 愛弟子が語る「天覧試合」「王貞治の世界記録」をジャッジしたレジェンド審判員・冨澤宏哉の功績

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

 1月16日に今年の野球殿堂入りが発表され、プレーヤー表彰でイチロー氏、岩瀬仁紀氏、エキスパート表彰で掛布雅之氏が選出。そして特別表彰では、元セ・リーグ審判部長の富澤宏哉氏が選出された。同氏は天覧試合や王貞治氏の世界記録となる756号をジャッジした、まさに日本プロ野球史の"生き証人"である。そんな富澤氏の愛弟子である元NPB初代審判長である井野修氏がレジェンド審判員について語ってくれた。

野球殿堂入りした元セ・リーグ審判部長の富澤宏哉氏 photo by Sankei Visual野球殿堂入りした元セ・リーグ審判部長の富澤宏哉氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【プロ経験のない審判員の草分け的存在】

── 井野さんと富澤宏哉氏の出会いは?

井野 1976年2月、後楽園球場で行なわれたセ・リーグ審判員採用試験です。当時の私は大学3年生でした。高校は野球部でしたが、審判の「シ」の字も知らず、『週刊ベースボール』に掲載されていた「セ・リーグ審判員8年ぶり公募」の記事を見つけて受験したのです。当時、富澤さんは、週刊ベースボール誌上で『ジャッジここが難しい』というコラムを連載していました。

── 採用試験はどんな感じでしたか?

井野 ルール、小論文、実技、面接でした。興味本位で受験した私は、冬だったのでとっくりセーターの上にロングコート、ジーパン、ブーツという、とんでもない格好で実技試験に臨みました。寒いなか、ブーツを脱いで素足で走り、"審判の命"でもあるマスクも持っていなかったので、誰かのマスクを勝手に拝借して文句を言われました。

── よく受かりましたね(笑)。

井野 自分でもそう思いました。関東地区80人受験で合格者は私ただひとり。不思議だったので、その後、富澤さんに合格の理由を尋ねたのです。返ってきた答えは「若くて、(大きな選手に見劣りしない)体のデカさ、俊敏なヤツ。この3要素を求めていた」と。ルールや実技はあとで覚えられます。私は身長180センチでした。ただシーズン前、全審判打ち合わせを兼ねた初めての食事会のあと、「やはりプロの審判員は考え直したほうがいい」と言われ、ドキッとしました。

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