祝・殿堂入り 愛弟子が語る「天覧試合」「王貞治の世界記録」をジャッジしたレジェンド審判員・冨澤宏哉の功績 (3ページ目)
── かつて『週刊ベースボール』の連載では、「富士山の3776メートルに並ぶ出場試合」と書いていましたが......?
井野 公式記録の集計見直しで、1試合減ったようですね。とはいえ、そんなことが関係ないぐらい、立派な記録です。
【アマ審判技術向上にも尽力】
── あらためて、富澤氏の功績をどう考えますか?
井野 富澤さんは、72年にアメリカのアル・ソマーズ審判学校に自費留学し、米国のアンパイアリング(審判技術)を輸入しています。80年にセ・リーグ審判部長に就任してからは、プロの審判が公費で米国留学できるシステムを構築、確立しました。現在はNPB審判員のほとんどが留学を経験しています。みずからもシーズンオフにたびたび渡米してメジャーの審判員と交流し、「ルールの解釈の日米の微妙な違い」(現在で言えばピッチクロックなど)を埋めようと尽力していました。
── それ以外はいかがでしょうか?
井野 94年から全日本軟式野球連盟の顧問になり、審判技術を担当しました。プロ野球審判員の採用とアマチュア野球の審判の技術向上を目的として、2013年に始まった「NPBアンパイア・スクール」の基礎になりました。審判技術を通して、日本野球の普及発展に寄与したのです。
── 井野さんご自身が、富澤氏から教わったことは何でしょう?
井野 近所に住んでいた時は球場入りするクルマに乗せてもらい、審判員のハウツーを伝授されました。"いい審判の条件"として、「忘れること」「立つこと」「せっかちではないこと」の3つを言っていました。
── 具体的に、どういうことでしょうか?
井野 まず、1つのプレーのジャッジにいつまでも固執しないこと。わかりやすく簡単に言えば、「あれ、さっきのはボールだったかな」と振り返らないこと。プレーと試合は続いているのです。だから、審判員は試合でどんな記録が生まれたかなど、意外と覚えていないものです。次に、当然のことですが、長い試合であっても審判は立ち続けてジャッジをくださなければなりません。最後に、ストライク・ボール、アウト・セーフをしっかり確かめてからコールするということです。
3 / 4