岩瀬仁紀はプロ人生唯一の先発マウンドに上がり、10勝目を挙げた「先発させてもらえないですか」とコーチに直訴 (3ページ目)
「監督に『ミス』と言わせてしまった自分にいら立ちを覚えましたし、プロのバッターの怖さも感じましたね。オープン戦では抑えていたのに、開幕したらアウトをひとつも取れずに降りたっていうことで、それだけシーズンに入ると集中力がすごく変わるんだなと。
自分も、開幕したばっかりでまさか勝ちゲーム、2対1のロースコアで投げると思ってなかったので、緊張に負けて、プレッシャーに負けたところもあるので、そこから開き直ることを覚えました。というのも、打たれて下(二軍)に落ちなかったので。上(一軍)にいさせてくれたので、逆に失うものはないと思ったら開き直れたんです」
当時、中継ぎといっても、1イニングのセットアッパーではない。ワンポイントもあれば、ロングリリーフもあり、場面、状況を問わず起用されたなか、岩瀬は結果を残し続ける。
「どこでも行きましたね。途中でも行きますし、回の頭とは限らないですから。どちらかと言うと、自分はランナーを置いて出て行くことが多かったですけど、1年目はわけもわからず、もうとにかく、その日暮らしみたいな(笑)。まあ今日、とりあえず結果を出せればいいや、というくらいの感じでやっていました」
終わってみれば、リーグ最多の65試合に登板。10勝2敗1セーブ、防御率1.57で最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得した。新人王は20勝で最多勝の巨人・上原浩治が受賞したが、岩瀬は11年ぶりのリーグ優勝に大きく貢献。1年目から日本シリーズに出場し、貴重な経験を積んだ。
【プロ野球人生唯一の先発登板】
2年目の2000年も58登板で10勝5敗1セーブ、防御率1.90で2年連続、最優秀中継ぎ投手のタイトルを獲得。ただ、1年目と違うのは、10勝目を先発で挙げていることだ。
「先発したいな、というのはずっと思っていました。2年目の最後、中継ぎでしたけど9勝を挙げていたので、ピッチングコーチの山田(久志)さんに『先発させてもらえないですか?』って言いにいったら、『じゃあ、やってみろ』という形で。だから1試合だけ、先発があるんです」
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