ヤクルト原樹理が「心が折れたことは何回あったかわからない」から694日ぶりに一軍登板を果たすまで (4ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

【きっかけは安田尚憲の満塁弾】

 そうしたなか、5月15日のくふうハヤテ戦で6回無失点の好投。その後はリリーフに回り、19試合で失点したのはわずか3試合。球速も147キロ以上をマークするようになっていた。夏の訪れとともに、原は劇的に変わっていくのだった。

「6月くらいに痛みがなくなったんです。キャッチボールもしんどくなかったし、投げても痛くない」

 しかし、痛みなく投げられるのに「やっぱりどこかで抑えている部分があった」と感じていたという。

「自分の投げている感覚と、映像を見た時のズレというか......しっかり腕を振っているつもりなのに、軽く投げているように見えたことがあったり。それがなぜなのかわからなくて、難しかったですね。そういう時に、星野さんとしゃべったんです」

 話は「痛みはどうや」「大丈夫です」という感じで始まったという。

「それで星野さんは『だったら腕とか飛ばすつもりでやってみろ。そう簡単には飛ばんから』と。そのくらいの感じで、割り切ってやってみろと。そこで腕を早く振るために、体をひねってその回転を使いながらやったら、腕が勝手にというかパッと振れた。それが続いて、そこからですね」

 そして原は「本当に投げ方が変わったのは、安田(尚憲)選手に打たれたグランドスラムがきっかけですね」と言った。

 8月4日のイースタンリーグのロッテ戦、原は3対3の同点で迎えた8回裏に登板。二死満塁の場面で、安田に右中間へ満塁ホームランを喫した。

「あれですべて吹っ切れました。吹っ切れた理由については、内緒です(笑)」

 その後、二軍で6試合連続無失点。「今はさわやかに投げることができています」と、結果を残し、冒頭で記したとおり一軍のマウンドにたどり着いた。今は中継ぎとして、チームの勝利のために投げている。残り少なくなったシーズンについて聞くと、「一日一日、目の前のことを一生懸命やるだけですね」と言った。

「この2年間で、正直、心が折れたことは何回あったかわからないくらいでした。でもその都度、支えてくださった方がいて、安田選手にホームランを打たれたあとも、次の日に小川(泰弘)さんが『キャッチボールやろうよ』と誘ってくれて、アドバイスもいただきました。力さんからも『まだあきらめたらダメだ』と、そうやっていろんな方にずっと励まされていたので......本当に感謝しかないですし、だからここまで歯を食いしばってできたのかなと思います。今はその方たちのためにも、結果はどうであろうと、力いっぱい腕を振っていこうとやっています」

 原の恩返しの登板は、まだまだ続く。

プロフィール

  • 島村誠也

    島村誠也 (しまむら・せいや)

    1967年生まれ。21歳の時に『週刊プレイボーイ』編集部のフリーライター見習いに。1991年に映画『フィールド・オブ・ドリームス』の舞台となった野球場を取材。原作者W・P・キンセラ氏(故人)の言葉「野球場のホームプレートに立ってファウルラインを永遠に延長していくと、世界のほとんどが入ってしまう。そんな神話的レベルの虚構の世界を見せてくれるのが野球なんだ」は宝物となった。以降、2000年代前半まで、メジャーのスプリングトレーニング、公式戦、オールスター、ワールドシリーズを現地取材。現在は『web Sportiva』でヤクルトを中心に取材を続けている。

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