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ヤクルト原樹理が「心が折れたことは何回あったかわからない」から694日ぶりに一軍登板を果たすまで (3ページ目)

  • 島村誠也●文 text by Shimamura Seiya

 オフには、戸田球場で「だいぶ寒うなってきましたけど、今日も投げられました」と、星野雄大ブルペン捕手を相手にほぼ毎日投げ続けた。12月には「いまシーズンに入ってもいいくらいです」と、手応えを口にしていた。

「あの時間は大きかったですね。オフってみんな休みに入っているので、投げるのってけっこう大変なんです。そのなかで僕が投げたいという時に、星野さんが10月、11月、12月と全部つきあってくれた。あの時間がなかったら、今の状態とはまた違っていたかなと思います」

 原の球を受け続けた星野ブルペン捕手は「一軍で投げてもまったく問題ないボールでした」と話した。

「1月の自主トレにも付き合って、時間はかかりましたけど、ずっと一軍レベルの球を投げてくれています。ストレートがいいので、カットボール、スライダー、シュートが生きていますし、戦力としてもチームのためになれるし、個人的にも応援しているし、もっといいところで投げさせてもらえるようにサポートしていきたいですね」

 2月21日、二軍キャンプ地の西都市(宮崎)はどしゃ降りの雨に見舞われた。原はブルペンでの投球練習のあと、「今日もぼちぼち投げられました」と話した。

「2月はペースを落としたのですが、(小野寺)力さんも衣さん(衣川篤史バッテリーコーチ)も、ボールが強いと言ってくれました。去年は焦っていましたけど、今はとにかく自分のできることを積み重ねています」

 原はこの時期のことについて、「正確には状態は落ちていました(笑)」と振り返った。

「1月中旬までは暖かかったので順調だったのですが、そんなにうまくはいかないですね。2月はけっこう寒くて、キャンプは戸田での極寒の第1クールから始まって、西都でも気温が低く、そのなかでピッチングだけでなく守備練習もあったり、これは厳しいなと。それを3月も引きずっていましたし、自分なりに何でダメなのかわかっていましたけど、重苦しいピッチングになってしまいました」

 3月22日に初登板すると、5月4日までに6試合を投げて防御率5.40。走者を背負う場面が多く、失点も続き、なんとか投げ終えている印象だった。

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