誰もが憧れたフォームの持ち主・平松政次は「ああいうふうに投げてみたいな」と江川卓のを真似た (3ページ目)
【打席から見た江川卓のボールは?】
平松は、プロ18年間でホームランを25本打っている。投手の歴代通算本塁打数でも金田正一38本、別所毅彦35本、米田哲也33本に次いで4位である。バッター平松から見て、江川のボールはどうだったのだろうか。
「当然、打席には立っているでしょうけど、覚えてないね。打つことは好きだし、記憶に残っていないとおかしいと思うんだけど、バッターボックス内では速いとかすごいとか、そんなことは感じてないんだよね。ホームランを打ちたいとか、ヒット打ちたいとかはあったでしょうけど......」
そして平松は、心底惜しむようにこう語った。
「江川の能力だけをみたら、300勝してもおかしくない。それほど素材的にすばらしく、持って生まれた天性はピカイチ。我々なんかも、親からピッチャーになるような体をもらったという話はしますけど、江川は歴代のプロの投手を見ても、素材は一番だったんじゃないかな。
金田さんは400勝していますけど、素材的には江川のほうがすごいんじゃないかなと思うよ。300勝している小山正明さん、米田哲也さん、鈴木啓示、稲尾和久さんは278勝ですけど、そのクラスに江川の名前が入っていないというのは不思議でしょうがない。天から授かった余りある才能を存分に発揮できないまま、成績も平凡なものに終わってしまった。それが本当に残念ですよね。あんなにすごい投手だったのに......」
カミソリシュートで一世を風靡した平松が、江川の能力を本気でうらやましく思い、「すごい」を連発し、プロ野球史上ナンバーワンの素材だったと公言する。だからこそ平松は、江川の才能が100%発揮できなかったことを、今でも悔しく思うのだった。
(文中敬称略)
江川卓(えがわ・すぐる)/1955年5月25日、福島県生まれ。作新学院1年時に栃木大会で完全試合を達成。3年時の73年には春夏連続甲子園出場を果たす。この年のドラフトで阪急から1位指名されるも、法政大に進学。大学では東京六大学歴代2位の通算47勝をマーク。77年のドラフトでクラウンから1位指名されるも拒否し、南カリフォルニア大に留学。78年、「空白の1日」をついて巨人と契約する"江川騒動"が勃発。最終的に、同年のドラフトで江川を1位指名した阪神と巨人・小林繁とのトレードを成立させ巨人に入団。プロ入り後は最多勝2回(80年、81年)、最優秀防御率1回(81年)、MVP1回(81年)など巨人のエースとして活躍。87年の現役引退後は解説者として長きにわたり活躍している
著者プロフィール
松永多佳倫 (まつなが・たかりん)
1968 年生まれ、岐阜県大垣市出身。出版社勤務を経て 2009 年 8 月より沖縄在住。著書に『沖縄を変えた男 栽弘義−高校野球に捧げた生涯』(集英社文庫)をはじめ、『確執と信念』(扶桑社)、『善と悪 江夏豊のラストメッセージ』(ダ・ヴィンチBOOKS)など著作多数。
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