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大学准教授となった元楽天・西谷尚徳が語るプロ生活一番の思い出と、「野村再生工場」とは (3ページ目)

  • 飯尾哲司●文 text by Iio Tetsuji

── トライアウトを受けて阪神に移籍したというのは、プロ野球に未練があったということでしょうか。

西谷 プロ野球選手として大成するのはなかなか難しいだろうとは思っていたのですが、身体的にはまだ動けたので、トライアウトに照準を合わせていいコンデイションをつくり、勝負してみようと思いました。自分のなかでひとつの"ケジメ"をつけようと。それでダメだったら、仕方ないと思いました。トライアウトを受けて阪神に育成選手として入団しましたが、阪神内野陣もクレイグ・ブラゼル、平野恵一さん、新井貴浩さん、鳥谷敬さんと揃っていました。1年後に再び戦力外通告を受け、現役引退を決意しました。

── プロ野球生活で、ほかに印象深いことはありましたか?

西谷 久米島の春季キャンプでの野村監督のミーティングです。まずキャンプ前半に「人間形成、人生設計の大切さ」をきちんと全選手に伝えてくれます。ミーティングのなかで、歴史上のいろいろな人物の格言や考え方をレクチャーしていただきました。そういう意味で、"野村再生工場"とは、プロ野球界におけるセカンドキャリアと、一般社会に出てからのセカンドキャリアのことだと思います。

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西谷尚徳(にしたに・ひさのり)/1982年5月6日、埼玉県出身。鷲宮高から明治大を経て、2004年ドラフト4巡目で楽天に指名され入団。06年に一軍デビューを果たすも、07年は右ヒジの手術を受け、1年間のリハビリ生活を余儀なくされる。09年、3年ぶりに一軍出場を果たすも戦力外を受け退団。トライアウトを受け、翌10年は阪神と育成契約を結ぶも同年限りで現役を引退。引退後は高校の国語の教諭として勤務し、13年から立正大法学部の専任講師、18年からは立正大学法学部法学科准教授を務める

著者プロフィール

  • 飯尾哲司

    飯尾哲司 (いいお・てつじ)

    静岡県生まれ。『週刊ベースボール』編集部出身。野村克也氏『私の教え子ベストナイン』『リーダーとして覚えておいてほしいこと』、元横浜高野球部長・小倉清一郎氏『小倉ノート』をはじめ、書籍の企画・取材・著書多数。プロ野球現場取材歴35年。早稲田大学大学院修士課程修了。学術論文「エリートアスリートはなぜセカンドキャリアで教員を選択したのか:プロ野球選手とJリーガーの事例をもとに」(スポーツ産業学研究, Vol.33, No.1, p.63-73,2023.)

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