近鉄の絶対的エース・阿波野秀幸はなぜ勝てなくなってしまったのか 「登板過多」「左膝の骨折」「西武からのクレーム」... (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 失礼ながら、巨人の3年間は未勝利でしたが、その巨人で13年間も投手コーチを務めたのは、貢献度が高かったということでしょうね。

阿波野 自分でも不思議ですね。セ・パを経験し、先発とリリーフの両方を経験したのがよかったのでしょうか。コーチでは二軍、育成を含めていろいろと勉強させていただきました。

── 阿波野さんのコーチとしてのポリシーは何ですか?

阿波野 どうやって"気づかせるか"なんですよ。長所も短所も、タイミングを見て導いてあげることです。そして"牽制"や"外国人打者との対戦"など、投手としてのアイテムを増やしてあげること。そこは意識してやっていました。


阿波野秀幸(あわの・ひでゆき)/1964年7月28日、神奈川県出身。桜丘高から亜細亜大学を経て、86年のドラフトで近鉄、巨人、大洋による競合の末、近鉄が交渉権を獲得し入団。入団1年目に、最多奪三振王(201個)、新人王のタイトルを獲得。88年、伝説となる「10.19」のダブルヘッダーに連投し悲劇を経験。89年、最多奪三振(183個)と最多勝利(19勝)のタイトルを獲得し、悲願のリーグ優勝を果たす。その後、95年に巨人、98年に横浜(現・DeNA)に移籍。98年は50試合に登板するなど日本一に貢献。2000年に現役を引退。現役引退後は巨人、横浜、中日のコーチを歴任。現在は解説者として活躍の傍ら、ジャイアンツアカデミーのコーチも務めている

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