阿波野秀幸が振り返る感動のリーグ制覇からの悪夢の日本シリーズ 「3連勝したことで少し油断したのかも...」 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── ブライアント選手は三振も多かったですが、固め打ち本塁打も多かったですね。

阿波野 それまで主砲だったリチャード・デービスが88年シーズンに途中退団したことにより、当時外国人選手枠は2つしかなく、出場機会がなかったブライアントが中日から移籍してきました。仰木監督と中西太コーチがウエスタンリーグの試合を視察して決めたそうです。ブライアントという選手はダメな時はまったくダメなんですが、スイッチが入った時はすごいわけです。西武とのダブルヘッダーの時も「アイツ、今日はやってくれるんじゃないか」という期待感はありました。三振は多かったですが、1試合3本塁打はあれがシーズン4度目でした。第2戦でも本塁打を放ち、西武に連勝。あのブライアントの神がかった活躍は今でも忘れられません。

── 1989年は最終的に勝率.568の近鉄が優勝、2位のオリックスが勝率.567、そして3位の西武が.566でした。

阿波野 この年の三つ巴は、引き分けの数の影響で、順位が1位から3位まで乱高下しました。「とにかく1試合も落とせない」という心理状態でしたね。近鉄ナインを強い気持ちで支えたのが、前年の『10・19』でした。本当に悔しい思いをしたことで、89年は最後まで気持ちを切らさず戦うことができた。そして10月14日、(自分は)中1日で優勝が決定したダイエー戦でもまた投げました。

── まさに2年越しの優勝でした。

阿波野 西武は近鉄に連敗したことで脱落。オリックスは13日に最下位のロッテに敗れ、近鉄がマジック1になりました。オリックスの結果はタクシーの運転手に教えてもらいました。「今日オリックス負けたで〜」と。それを聞いて「じゃあ、明日勝てば優勝だ!」と、気持ちが高ぶりました。あの年は大阪の街も三つ巴の戦いに一喜一憂していました。それも前年の『10・19』をテレビ放映してもらったことが大きかったですね。単なる「いい試合」で終わることなく、ファンの方たちと感動を分かち合うことができた。

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