阿波野秀幸が語る『10・19』「ダブルヘッダー第2戦の10回裏、0点で抑えたことに大きな意義があった」

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

阿波野秀幸インタビュー(前編)

 いまだに語り継がれる1988年の『10・19』。近鉄がロッテとのダブルヘッダーで連勝すれば優勝が決まるという大一番。近鉄は2日前に128球を投げて完投した絶対的エース・阿波野秀幸を2試合ともリリーフ登板させるなど意地を見せたが、最後は時間切れ引き分けにより優勝を逃すという悲劇に見舞われた。エース・阿波野が経験した『10・19』とは?

1988年10月19日、ロッテとのダブルヘッダー第1戦でプロ初のセーブを挙げた阿波野秀幸氏(写真中央) photo by Sankei Visual1988年10月19日、ロッテとのダブルヘッダー第1戦でプロ初のセーブを挙げた阿波野秀幸氏(写真中央) photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【痛恨の同点アーチ】

── 最下位ロッテとのダブルヘッダー第1戦は4対3と辛勝。目が離せない展開でした。

阿波野 ロッテは第1戦に抑えの牛島和彦さんを投入し、帰国していてもおかしくないビル・マドロックまで試合に出ていました。ロッテの本拠地・川崎球場ということあるし、近鉄にやすやす胴上げをさせてたまるかという意地でしょうね。ロッテにそのプロ意識があったからこそ、あの真剣勝負の2試合になったのだと思います。

── 第1戦は近鉄が9回表に勝ち越し。2日前に128球完投していた阿波野さんは9回裏無死一塁、カウント2ボールからリリーフに上がり、プロ初セーブを挙げました。

阿波野 引き分けでも優勝がなくなる場面で、あのシーズン初めてリリーフとしてマウンドに立ちました。最後は二死満塁まで攻められたのですが、なんとか森田芳彦さんを三振に打ちとることができました。

── 第2戦でも、1点リードの8回裏にマウンドに上がり、高沢秀昭選手と対戦します。捕手・山下和彦さんのストレートのサインに首を振ったとか?

阿波野 あの日のストレートのキレでは、打者を抑えられないと判断しました。第1戦でも、捕手の梨田昌孝さんのリードは、肝心なところはシンカーでした。高沢さんはあの打席、シンカーを2球空振りしていますが、最後にすくい上げたのは、頭のどこかにシンカーがくるという読みがあったのだと思います。

── 結果は痛恨の同点アーチになりました。

阿波野 ライナー性の打球だったので、「フェンスに当たって、スタンドまで届かないでくれ」という思いはありました。本塁打とわかった瞬間、頭が真っ白になったというか、それまでの緊張の糸がプツッと途切れた感じでした。高沢さんは試合に出なくても首位打者のタイトルを獲れていたのに、それでも2試合とも出てきたというのは、先述したようにロッテの意地だったと思います。

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