奥村展征「必要とされる選手になりたかった」 愛された元ヤクルトのムードメーカーが明るさの裏側で持ち続けた危機感 (3ページ目)

  • 和田悟志●取材・文・写真 text & photo by Wada Satoshi

【チームに必要とされる選手になりたかった】

 プロ10年目の2023年シーズンは、春季キャンプを一軍で迎えた。

 しかし、プロ野球は厳しい世界。ムードメーカーというだけでずっと一軍にいられるわけがなかった。それは奥村自身が重々理解していたことでもあった。

 課題に上げていたのはバッティングだ。

「バッティングはなかなか方向性が固まりませんでした。ファームで過ごす時間が多かったこともあって、難しかったですね。ファームでは打てても、一軍に上がったら打てない。そこの差を埋める能力がなかなかつけられなかったですし、力の差を感じていました」

 春季キャンプ中、筆者が見に行った沖縄・糸満で行なわれたロッテとの練習試合では、佐々木朗希の160kmの速球にファールで粘る奥村の姿があった。今季はひと味違う活躍をしてくれそうだと期待を抱かせたものだが、奥村は必死にもがいていた。

 苦闘しながらも、昨シーズンの奥村は開幕一軍を勝ち獲った。しかし、チームは開幕5連勝と絶好調だったものの、奥村は一軍の出番がないまま、二軍落ちとなった。

「登録枠の関係もあったと思いますが、自分の実力が完全に不足していました」

 その後、開幕ダッシュに成功したかに見えたチームは、4月中旬からなかなか勝てない時期が続く。4月下旬には7連敗も喫した。

 そんな状況で再び奥村は一軍に呼ばれる。

「一軍に上がったら、勝ち試合に持っていけるようなワンピースになりたいなと思っていました」

 試合では出番がなかったものの、奥村がベンチ入りした4月30日の阪神戦で、チームは連敗を7でストップさせ、久々に白星を手にした。もちろんそこには声や振る舞いでチームを盛り上げる奥村の姿があった。

 その日のSNSでは、奥村のムードメーカーとしての功労を称える声が相次いだ。その声は奥村にも届いていた。

「やっぱり必要とされる選手になりたかったので、うれしかったですね。2回目に一軍に上がった時は、当然チームの勝ちにこだわりながら、自分も結果を出せるようにと意気込んでいました。チームを鼓舞できるような元気がないといけませんが、元気だけではダメ。結果を出さなければまた二軍に行くことになると自分でもわかっていました。それらを両立することを意識していました」

現在はコーチとして持ち前の元気と明るさを発揮している現在はコーチとして持ち前の元気と明るさを発揮している

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