奥村展征「必要とされる選手になりたかった」 愛された元ヤクルトのムードメーカーが明るさの裏側で持ち続けた危機感 (2ページ目)
【ムードメーカーの裏側にあった危機感】
ドラフト会議で読売ジャイアンツから4位指名を受け、2014年からプロ野球選手としてのキャリアは始まった。しかし、翌年にFA制度の人的補償でヤクルトへ移籍。プロ2年目での移籍は当時NPB史上最短だった。
そこから9年間をヤクルトで過ごし、内野のユーティリティプレーヤーとして活躍した(内野手ながら外野をこなすこともあった)。さらには、ムードメーカーとしてもチームを盛り立ててきた。
しかしながら、明るい振る舞いとは裏腹に、心の内には常に危機感があったという。
「10年間で一軍に上がれない時期がけっこう多かったので、成績が残らなかったら......(戦力外になるかもしれない)っていうのは毎年、思っていました。そこはもう競争ですから。『一軍に上がらない=使い物にならない』って考えてしまう性格だったので、そういう覚悟を持ちながら、一年一年やらせてもらっていました」
確かにファームで過ごす時間は長かったが、ヤクルトが連覇を果たした2022年シーズンは43試合に出場し、随所で活躍を見せた。出番がない時でもベンチで誰よりも大きな声を張り上げて、チームを鼓舞し続けた。
「自分が活躍するのもそうですし、仲間の背中を押すって言ったらおかしいですけど、ベンチの士気が下がらないようにするのも自分の仕事かなと思っていました。勝った時にはさらに勢いづける。負けた時には次にどういう戦いができるかが大事だと思うので、そういう役割は自分でもやりたかった。そういうところも含めて、2連覇をしたシーズンはちょっとでもチームの力になれたんじゃないかなって思っていました」
リーグ優勝の瞬間は、一軍で仲間たちと歓喜を分かち合った。
仙台市の森林どりスタジアム泉にて
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