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藤田浩雅は桑田真澄とバッテリーを組み「リードはお任せします」で、1試合16奪三振のセ・リーグタイ記録 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── かつて、球団代表から「君がルールだから」と、絶大な信頼を寄せられたと聞きます。寮といえば、気になるのは門限破りです。その昔、堀内恒夫さんの指導など、武宮敏明寮長の厳しかった話は伝説として聞きます。

藤田 私は「門限繰り上げ」「夕食の義務化」「選手の自室禁煙」にしました。若手選手にとって体をつくるのも仕事のうちですから。昨年12月に新しい寮ができて、ひと昔前のようにファンが寮の周囲を取り囲むなど今は昔で、そんな光景はもうありません。

── では、選手の武勇伝とか、寮長の"教育的指導"などはないのですね。

藤田 名前は出せませんが、寮規を破った選手はいました。こちらとしてもっとも怖いのは、事件や事故に巻き込まれて野球ができなくなることです。だから「ここでは、オレはおまえの父親代わりなんだ」と毅然とした態度で対応しました。その選手は、現在も現役で活躍してくれています。

── 藤田さんは、昨年で寮長を退任されたと聞きました。

藤田 寮長や副寮長という肩書や名称が、今年からなくなっただけです。これまでの寮長的な存在は、熊本工高出身で活躍した井上真二がチーフとしてやっています。私は副寮長的な立場で、これまでと変わらずに、選手が一人前、一流になるための後押しをしていきたいと思っています。これからも巨人を応援してください。


藤田浩雅(ふじた・ひろまさ)/1961年10月3日、静岡県生まれ。御殿場西高から関東自動車に進み、82年のドラフトで阪急(現・オリックス)から3位で指名され入団。2年目の84年に打率.284、22本塁打、69打点の成績を挙げ新人王に輝く。阪急の正捕手として活躍し、抑えのアニマル・レスリーから勝利のあとパンチを食らうことが頻繁にあった。88年には史上8人目となる代打逆転満塁サヨナラ本塁打を記録。92年に巨人に移籍し、96年に現役を引退した。引退後は巨人のコーチ、寮長などを歴任。今も副寮長な立場で若手を支えている

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