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藤田浩雅は桑田真澄とバッテリーを組み「リードはお任せします」で、1試合16奪三振のセ・リーグタイ記録 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 藤田流の配球論を教えてください。

藤田 投手の持っている球種、コントロールを軸にしながら、相手打者の得手不得手を掛け合わせるリードです。もちろん、前回の同じカード、直前の試合、前の打席のデータも絡ませます。阪急時代に上田利治監督から「内角をうまく使いなさい」と口を酸っぱくして教え込まれました。

── 阪急も好投手が多かったですが、当時の巨人も斎藤雅樹投手、槙原寛己投手、桑田真澄投手の強力な「先発3本柱」がいました。

藤田 斎藤はストレートとスライダーだけで2年連続20勝、槙原はストレートとスライダー、フォークで94年に完全試合。そして先述した桑田。通算150勝以上している3人が、94年にあの中日との伝説の"10・8決戦"で継投しました。ともにペナントレース最終戦で、勝ったチームが優勝。私はスタメン出場ではなかったのですが、緊張しましたね。そして死闘の末に優勝して、日本一も達成。思い出深いですね。

── 中日は150キロ近いストレートと90キロ前後のスローカーブという、緩急で勝負する今中慎二投手が先発でした。

藤田 あのスローカーブを投げ始めたきっかけは、じつは私なんです。彼の著書に<92年、藤田浩雅選手の打った投手ゴロで左手首を骨折。リハビリ中、投げて痛くないのはスローカーブだけで、まさにケガの功名だった>というようなことが書かれていました。

【父親代わりとして若手の生活を指導】

── 96年に現役引退後、コーチを計7年間務めました。

藤田 07年に育成担当コーチと副寮長を兼務したんです。1週間のうち、宿直で2連泊あるのですが、夜間練習もあって、体力的にさすがにきつかったですね。プロ野球界は、基本的に月曜日が休日なのですが、疲れて外出できなかったです。

── 寮長も計7年間務めています。具体的にどういう仕事をなさるのですか。

藤田 簡単に言えば、宿直業務、寮内の設備の管理、選手の健康管理です。

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