王貞治監督と大喧嘩をした尾花高夫 辞表願を提出するも「何だい、これは?」と破って投げ捨てられた

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

尾花高夫インタビュー(後編)

前編:「名将の懐刀」尾花高夫が語るそれぞれの流儀はこちら>>

中編:尾花高夫は斉藤和巳に「エースにできなかったら指導者失格」と惚れ込んだはこちら>>

 尾花高夫氏の長い指導者生活のなかでも、とくに濃密な時間を過ごしたのが王貞治監督のダイエー時代ではないだろうか。コーチ就任1年目にしてチームを球団創設初の優勝に導き、ホークス黄金時代の礎を築いた。尾花氏が当時を述懐する。

99年から05年までダイエー王貞治監督(写真右)のもと投手コーチを務めた尾花高夫氏 photo by Sankei Visual99年から05年までダイエー王貞治監督(写真右)のもと投手コーチを務めた尾花高夫氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【王監督からコーチ打診の直電】

── 王貞治監督のもとで投手コーチを務めたダイエーの7年間は、特筆ものだと感じました。

尾花 野村克也監督とともにヤクルトを退団した98年オフ、王さんから直接電話がありました。最初はまさかと思って「失礼ですが、どちらの王さんですか?」と聞きました。すると「福岡ダイエーホークスの監督を務めております王貞治です」と。私は受話器を握りしめたまま直立不動です(笑)。

── 王監督との一番の思い出は何でしょうか。

尾花 やはり99年の優勝です。この年、王監督と大喧嘩をしたのです。忘れもしない99年9月11日。2位の西武に0.5ゲーム差まで縮められ、その試合に負ければ首位陥落です。試合前、いつものように監督室で"投手交代のシミュレーション"の打合せをしていました。それまで王監督は、試合中盤まではチャンスがあっても送りバントで走者を進める作戦をとっていませんでした。ただこの試合だけは絶対に落とせないので、「早い回でもチャンスがあったらバントで送って、1点ずつ積み重ねる野球をお願いします」と言い、王監督も「わかった」と。そこまではよかったのです。

── 続きがあるわけですね。

尾花 その後も会話は続き「これまでも早い回にバントで送っていれば、勝てた試合は5、6試合あったかもしれません」と例に出したつもりが、王監督は采配批判と受け取って激怒したのです。私も慌てて「いえ、そういうつもりではなく、あくまで一例として話したまでです。お気に触りましたら申し訳ございません」と。

 しかし、話をしているうちに私も頭に血が上ってきてしまい、「私の言っていることが間違っているのですか!」と口に出してしまったんです。王監督は腕を組み、しばらく考え込んだあと「わかった。今日は君の言うとおりにやろうじゃないか」と。ミーティングでも「今日はチャンスがあったら、初回からでもバントで送って、1点ずつ積み重ねる野球をやるからサインを見落とさないでくれ」と話してくれました。実際、初回から送りバントをして、この試合を4対1で勝利。その後も快進撃を続け、9月25日に待ちわびた瞬間(ダイエー創設初優勝)を迎えたのです。

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