王貞治、野村克也、広岡達朗、原辰徳らを支えた「名将の懐刀」尾花高夫が語るそれぞれの流儀

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

尾花高夫インタビュー(前編)

 尾花高夫氏は投手コーチとして、広岡達朗GM(ロッテ)、野村克也監督(ヤクルト)、王貞治監督(ダイエー)、原辰徳監督といった名将たちの懐刀の役割の担い、チームを陰で支えた。一軍投手コーチを通算17年経験し、そのうち優勝7回、2位6回と好成績を残した。では、どのようにして投手陣を整備、再建し、チームを勝利へと導いたのか。

97年から2年間、野村克也監督(写真中央)のもとヤクルトの投手コーチを務めた尾花高夫氏 photo by Sankei Visual97年から2年間、野村克也監督(写真中央)のもとヤクルトの投手コーチを務めた尾花高夫氏 photo by Sankei Visualこの記事に関連する写真を見る

【指導者の礎はロッテ時代】

── 尾花さんは右ヒザ半月板を痛め、91年シーズンを最後に現役引退。そして95年にロッテのコーチに就任しました。

尾花 プロ入団時の監督であった広岡達朗さんから「ロッテでGMをやる。監督はボビー・バレンタインだ。手伝ってくれるか」と、直々に電話をいただきました。毎試合後、野手の責任者である江藤省三さんと、投手の責任者である私がGM室に呼ばれ、指導者としてのアドバイスを受けました。

「あの投手が崩れる前兆が出ていた」など、投手の交代についての指導が多かったですね。広岡GMは先発ローテーション、勝ちパターンのリリーフ投手を重視する野球でした。投手陣が不調に陥ったら、「自分も考えてくるから、明日までに尾花も考えてきなさい」と、一緒に改善策を考えてくれる方でした。常に「それは選手のためになるのか」というスタンスでした。

── 広岡さんは「管理野球」「トップダウン」のイメージがありますが、そうではなかったのですね。

尾花 私が「それは無理じゃないですか」と言うと、「無理ではなく、尾花ならできるだろう。やってみなさい」と、発展的に物事を持っていってくれました。4月は最下位だったのですが、5月からは投手交代や起用について全面的に任されました。それは監督の仕事ではないかと思ったのですが、メジャーではヘッドコーチの意見を監督が重視するようで、私は江尻亮さんに進言する役割でした。

── チームは最終的に2位に浮上し、10年ぶりAクラス入りを果たしました。

尾花 先発では伊良部秀輝、小宮山悟、エリック・ヒルマン、園川一美、リリーフでは河本育之、成本年秀らが中心となって頑張ってくれました。この経験がのちの野村克也監督のヤクルト時代、王貞治監督のダイエー(現・ソフトバンク)時代、原辰徳監督の巨人時代に役立ったわけです。

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