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王貞治、野村克也、広岡達朗、原辰徳らを支えた「名将の懐刀」尾花高夫が語るそれぞれの流儀 (3ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【ダイエー初優勝、巨人3連覇に貢献】

── 1999年から2005年まで王貞治監督が指揮を執るダイエーで投手コーチを務めます。99年は投手陣を整備して、いきなり優勝に導きました。

尾花 王監督は「打ち勝つ野球」でした。99年は王監督の5年契約の最終年だったので、貢献できてよかったです。球界再編騒動は2004年ですが、当時から1リーグ構想がささやかされていて、ダイエーが優勝しなくては消滅する球団に含まれるかもしれないと。だから、何がなんでも99年は優勝しなくてはいけないと、強い覚悟で臨みました。王監督とはいつも「投手交代のシミュレーション」を打合せしていました。99年からダイエーは2連覇し、2000年の日本シリーズは「ONミレニアム対決」になったのは本望でした。

── ちなみに、王監督とすりあわせた「投手交代のシミュレーション」は具体的にどんな感じで行なわれていたのですか。

尾花 99年の開幕戦から毎試合やっていました。「王監督、今日の試合はどんなスコアで勝つことを想定していますか?」と。たとえば「西武の先発は西口(文也)で、こちらは西村龍次です。想定スコアによって、誰と誰を投げさせるのか構想を練らなくてはいけません」と言うわけです。それによって、別の投手を休ませられますからね。

── 2006年から09年まで、原辰徳監督の巨人に移籍します。

尾花 原監督には「投手は3点に抑えますので、4点とってください」と、よくお願いしていました。プロ野球は勝率で争いますが、「3失点以下の試合」でしかなかなか貯金はつくれません。「4失点以上の試合」が多いと、借金になります。だから、3失点以内の試合を90試合つくれば、約30個の貯金ができて、優勝の可能性がグッと高くなります。

── 当時のセ・リーグは、2003年から06年まで阪神と中日が交互に優勝するなど「竜虎の時代」と呼ばれていました。

尾花 巨人の投手コーチ1年目の順位は4位でしたが、チーム防御率は前年の4.80から3.65まで向上しました。07年からは3.58(リーグ2位)、3.37(リーグ2位)、2.94(リーグ1位)で、リーグ3連覇を達成しました。内海哲也や高橋尚成らの先発陣はもちろん、抑えの上原浩治、マーク・クルーン、さらに「風神雷神」の異名をとった越智大祐と山口鉄也のセットアッパーコンビが頑張ってくれました。

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尾花高夫(おばな・たかお)/1957年8月7日、和歌山県生まれ。PL学園から新日鉄堺を経て、77年のドラフトでヤクルトから4位指名を受け入団。83年に11勝をマークすると、84年は自己最多の14勝を挙げた。選手生活の晩年は半月板損傷などケガに悩まされ、91年に現役を引退。引退後は投手コーチ、監督としてさまざまな球団を渡り歩き、多くの一流投手を育てた。23年2月から鹿島学園高(茨城)のコーチとして指導を行なっている。

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