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王貞治、野村克也、広岡達朗、原辰徳らを支えた「名将の懐刀」尾花高夫が語るそれぞれの流儀 (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

【四球を減らせば防御率は向上する】

── 1997年から2年間、野村監督のもとコーチを務められますが、尾花さんの現役最後の2年間の監督は野村さんでした。

尾花 野村監督には本当に勉強させてもらいました。野村さんの評論家時代に週刊誌で連載していたコラムも欠かさず読んでいたので、90年に監督に就任すると質問攻めにしました(笑)。97年にコーチとして呼んでいただき、前年4位のチームがいきなり優勝できました。野村監督は「投手力を含めた守備力で勝つ野球。1対0で勝つ野球」を目指されていました。

── 尾花さんが投手コーチに就任すると、どのチームも1年目にチーム防御率がよくなり、順位も上がっています。何を改善するのですか。

尾花 まず、失点の要因となる"四球"と"本塁打"を減らすことです。四球、安打、本塁打のサンドウィッチが一番よくありません。単純に四球を減らせば、失点は絶対に減少します。ボールが先行するとストライクを投げないといけないので、狙い球が絞られて打たれる確率が高くなります。最初から自分のペースで勝負できれば、ボール球を振らせることができるし、何でも投げられるわけです。

── 97年は、シーズン前の予想を覆して優勝しました。

尾花 このシーズンは、田畑一也が15勝と奮闘しました。田畑はコントロールがいいのはもちろんですが、大きなカーブとスライダーが武器でした。さらにクイックが速くて、田畑と古田敦也のバッテリーは一度も盗塁を許したことがないんじゃないかな。石井一久や吉井理人らの先発投手のほか、目立ちませんでしたが野中徹博、廣田浩章、加藤博人の存在が大きかったですね。とくに野中と廣田のように、他チームを戦力外となった投手を再生し、適材適所で起用することができました。

── 野村ヤクルト時代、印象に残っていることは何ですか?

尾花 97年に優勝を争った横浜との天王山の2連戦ですね。初戦、石井一久がノーヒット・ノーランを達成したのですが、3回終了時点で「今日、ノーヒット・ノーランをやれるかもしれません」と言ったのに、8回終了時点で「やっぱり代えてください」と。「なに考えとんじゃ!」って怒りましたよ。

 それで翌日、いい流れのまま連勝したい。先発・田畑のあと、高津、伊藤智仁で2イニングずつを予定したのですが、田畑が早い回に打たれてしまって......。野村監督が「高津を4回からいけるように準備してあるか?」って言われたのですが、さすがに「4回ですか?」と。山本樹を挟んで、何とか6回の高津までつなぎました。ヤクルトコーチ時代は、この2連戦が深く印象に残っています。

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