王貞治監督と大喧嘩をした尾花高夫 辞表願を提出するも「何だい、これは?」と破って投げ捨てられた (2ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi

── 9月11日の大喧嘩が、結果としてターニングポイントになったわけですね。

尾花 日本シリーズでも中日を4勝1敗で下し、日本一を達成しました。しかしシリーズが終わり、私は名古屋のホテルの監督の部屋に行って"辞職願"を提出しました。他意はなかったにせよ、結果的に王監督の采配に口を出す"越権行為"をしてしまった。その責任をとろうと決意したのです。

── 尾花さんの行動に対して、王監督はどんな反応だったのですか。

尾花 王監督はそれを見て「何だい、これは?」と言って、辞職願を破ってゴミ箱に投げ捨てました。そして「私は君のやりやすいように考えているよ。来年もあらためて頼むぞ!」とおっしゃっていただきました。そんな言葉をいただけると思っていなかったので、王監督の懐の大きさに胸が熱くなりました。翌年もリーグ優勝を果たすことができ、ホッとしましたね。

── 2006年から巨人の原辰徳監督のもとでコーチを務めることになりました。

尾花 家庭の事情で関東に戻らなくてはならなくなり王監督に相談すると、直々に巨人に連絡を入れてくれました。王監督とは、じつは"小さな喧嘩"もたびたびありました。今となっては笑い話ですが、「私は常に勝つためにどうするか」を考えていました。それは王監督も同じで、お互い情熱があったからこそぶつかったんだと思います。でも最後は、いつも王監督がこちらの思いを受け止めてくれました。

【安田猛を目指すべき】

── ここまでコーチになられてからの話ばかりでしたが、現役時代の話も聞かせてください。尾花さんが入団した78年は、ヤクルトが球団創設29年目にして初優勝を果たした年です。

尾花 その年から始まったアリゾナ州ユマのキャンプに、一軍メンバーとして連れて行ってもらうために、合同自主トレから「尾花」の名前を覚えてもらおうと必死でした。当時ヤクルトのユニフォームは背番号の上に自分の名前が入っておらず、とにかく目立とうとみんなと違うタイミングで元気ある声を出していました。そして国立競技場の周りを走る4キロ走はいつもダントツのトップで走り、広岡達朗監督をはじめとする首脳陣にアピールしていました。ある時ブルペンで投球練習をしていると、森祇晶コーチが「元気な若造、オレが捕ってやるよ」と受けてくれたことがありました。その時は一番自信のあったシンカー気味のシュートを投げ込みました。

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