カルロス・ポンセが「間違いなくメジャーで通用した」と語る3人の日本人「江川卓よりもすごかった」 (4ページ目)
「ドラゴンズは台湾の名門球団だったんだけど、99年に活動を停止したんだ。そしてこの年に活動が再開され、コーチを探していたところに僕のチャンネルが現れたっていうわけさ」
味全ドラゴンズは翌20年からファームリーグへの参加が許され、ポンセは若い選手相手に打撃コーチとして指導を行なうことになった。
「選手とのコミュニケーション? ニーハオとシェイシェイで十分だったよ。同じ野球をするんだから。僕は1シーズンだけの指導だったんだけど、次の年からチームは一軍で戦うようになったね。だから、選手のなかにはアメリカの2Aや3Aでも十分にプレーできる選手はいたよ」
台湾でのコーチ生活は1年で終わったが、ポンセは日本プロ野球OB選手会の一員として、現在も野球界に貢献すべく奔走している。
【今だから明かす応援歌秘話】
日本滞在の最後は、大洋時代からのファンとのパーティーだった。会場となった横浜スタジアムの側にあるバーには、ホエールズのユニフォームをまとったコアなファンが多数詰めかけた。トークショーの際には、温厚な彼が珍しく起こした乱闘の話題になった。
「タイガースとの試合だったよ。3回当てられたんだ。2回までは許せるけどね。内角を攻めるのはわかるけど、ここ(脇腹)じゃないだろうって。当てられたのはこっちなのに、向こうの(村山実)監督が何か言ってきたから、僕もキレてしまったんだ」
会場で流されたその時の映像では、デッドボールを受けた瞬間、ピッチャーに向かって一直線に突進するポンセの姿が映し出された。場内が大爆笑に包まれるなか、ポンセの「申し訳ない」というひと言に、さらに大きな笑いと拍手が起こった。
ファンからはさまざまな質問が投げかけられた。かつてライトスタンドから熱心な応援を送っていたファンからは、日本のトランペットによる応援について感想を求められた。
ポンセといえば、オールドファンなら誰でも歌うことができる「バモス、ポンセ」で始まる応援歌がおなじみだ。来日2年目からはおもにライトを守ったポンセにとって、応援団の声援は心強かったという。
「あのリズムはもともとメキシコの民謡なんだ。僕はプエルトリカン。なんでメキシコのリズムなんだって思ったんだけどね(笑)」
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