山田久志が清原和博を「痛めつけていた」理由 一方で松永浩美は、阪急の大エースに「頭突き事件」を起こしていた (2ページ目)
【ロッカールームで山田から「偉そうにするな!」】
――落合さんとの対戦も印象的でした。
松永 山田さんは、落合さんに関しては打ち取れる自信があったみたいです。だけど、西宮球場でのロッテ戦(1982年4月29日)で、落合さんにホームランを3本打たれた時があったんです。落合さんにとって山田さんは"天敵"で、それまではほとんど打てなかったのですが、その試合では山田さんの得意球のシンカーを狙いすましたように打っていました。
落合さんは「このボールしか待たない」と決める方で、そのボールが来たら多少ボールでも打つタイプです。だけど、落合さんは低めをあまり打たないタイプでもあるので、どうしても低めに来るシンカーは苦手だったんでしょう。あの試合ではそれをホームランにしていましたが、打たれた山田さんの「しまった......」という表情は印象的でした。
――自分のチーム、敵のチーム関係なく厳しかったということですが、松永さんにも厳しかったんですか?
松永 すごく厳しかったです。確か1986年の、ある藤井寺球場での試合前にもキツく叱責されることがありました。藤井寺球場のロッカールームにはテーブルが少なくて、荷物を置くスペースがあまりなかったんです。その日は、たまたま大きいテーブルが3つぐらい置いてあったのかな。私はそのうちのひとつを自分のほうに引き寄せて、ラーメンを食べていたんです。
そうしたら山田さんが来て、そのテーブルの脚をドーンっと足で蹴って、「2年連続で3割打ったぐらいで偉そうにするな! まだレギュラーでもなんでもない。3年連続で打ってから偉そうな顔をしろ」と言われたんです。私は「くっそ~」と心の中で思いながら、蹴られたテーブルを元の位置に戻した記憶があります。悔しかったですけど、見返してやろうと思って、その年に3年連続で3割を達成できました。
――松永さんがシーズンを重ねても、厳しさは変わらなかった?
松永 厳しかったですね。教えてくれることも多かったですが、厳しいところは厳しかった。ただ、「お前はいつもエラーばっかりしやがって」などと言う一方で、「でも、何勝分かは助けられているしな」と言ってくれたり、優しい一面もありました。
山田さんに次男が生まれた時は、照れくさそうにしていましたね。山田さんが30代中盤頃に生まれたんですが、「あんまり周りに言うなよ」とクギを刺されました。恥ずかしかったんでしょうね。その後、長男を球場に連れて来ることもあって、その瞬間だけは「山田さんも親なんだな」と思っていました。普段は家庭を持っている雰囲気がありませんでしたから。
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