「打撃の神様」川上哲治の指導法 V9時代の巨人の5番・末次利光は「ボールだけしか見えなかった」瞬間があった (4ページ目)
――守備に関する指導もされていましたか?
末次 守備に関してはコーチに任せていました。どちらかというと、技術などよりも人間教育を教わることのほうが多かったですね。結局、プロ野球選手は野球しかやってきていないので、社会人としてのいろいろな人とのつき合い方はほとんど知らないじゃないですか。
例えば、シーズンオフにゴルフをやることが多かったのですが、企業の方々と一緒に回る時に、「ただ一緒に回るのではなく、いろいろなことを吸収するんだぞ」とよく言われました。それと、松下幸之助さん(パナソニック創業者)や本田宗一郎さん(本田技研工業創業者)ら優れた経営者の方々がいかにして成功されたか、ということをミーティングの時によくお話しされていました。
僕が巨人に入って最初のミーティングで言われたのは、「報恩感謝」(恩を受けたことに対して、報いようとすること)という言葉です。つまり、野球人である前に1人の人間であることが大切だと。「今こうして野球をやれるということに感謝しなさい」ということを最初に説かれました。僕は今でもこの言葉を大切にしていて、色紙にサインを書く時には「感謝」という言葉を書いています。
(中編:末次利光が思うV9達成の価値 後期には「バッターとランナーでお互いにサインを出していた」>>)
【プロフィール】
末次利光(すえつぐ・としみつ)
1942年3月2日、熊本・人吉市出身。鎮西高、中央大を経て、1965年から13年間巨人でプレー。川上哲治監督が率いるV9時代に、長嶋茂雄、王貞治と共に5番打者としてクリーンナップを形成した。1971年には日本シリーズMVP、1974年にはリーグ4位の打率.316を残してベストナインにも選ばれている。1977年に引退後は巨人の2軍監督、スカウト、編成部長などを歴任した。
著者プロフィール
浜田哲男 (はまだ・てつお)
千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。
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