「打撃の神様」川上哲治の指導法 V9時代の巨人の5番・末次利光は「ボールだけしか見えなかった」瞬間があった (2ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo

【川上が球界に起こした数々の革命】

――川上監督は選手と積極的にコミュニケーションをとられる方でしたか?

末次 直接指導を受けたこともありましたし、選手の心をつかむのはうまかったと思います。それと、コーチの方々の使い方がうまかったですし、とにかくアイディアマンで
球界にいろいろなものを残されましたね。

 メジャーリーグの選手にならって、柴田勲くん(元巨人)にスイッチヒッターになることを進言したのが川上さんですし(柴田は日本人初のスイッチヒッター)、「先発投手以外は二流のピッチャー」と言われていた時代にリリーフ専門のピッチャーを確立したのもそう。夜の8時半ぐらいにマウンドに上がることから、"8時半の男"と呼ばれた宮田征典さん(元巨人)がその草分け的な存在ですが、大成功しました。

 選手の査定に関してもそうです。例えば、試合の出場機会がなくてもベンチで大きな声を出して味方を鼓舞するとか、そういう行動に対しても川上さんは称賛していました。
実際に、年俸査定に反映される時もありましたから。

――"管理野球"で西武黄金時代の礎を築いた広岡達朗さんも、V9時代に川上さんのもとでプレーしていましたが、川上さんは選手の食生活や行動を管理されるようなことはありましたか?

末次 管理、というほどでなかったですね。毎日のミーティングで、成功を収めた著名人の考え方などを話されたり、人間教育に関するお話しすることは多かったのですが、選手の食生活や門限などを管理することはありませんでした。ただ、栄養士を雇ったり、食事の栄養バランスには気を遣っていました。

 それと、十種競技で東京オリンピックにも出場された鈴木章介さんが、巨人のトレーニング専門コーチに就任(球界初)されたのですが、それも川上さんのアイディアなんです。スポーツ医学とか生理学とか取り入れていましたし、球界に革命を起こしたといっても過言ではないと思います。

2 / 4

厳選ピックアップ

キーワード

このページのトップに戻る