梨田昌孝が明かす「10.19決戦」第1試合9回裏の投手交代の真相 吉井理人→阿波野秀幸「ボールの判定にカーっとなってしまって...」 (3ページ目)

  • 浜田哲男●取材・文 text by Hamada Tetsuo
  • photo by Sankei Visual

【吉井と阿波野の投球に抱いた危機感】

――梨田さんのタイムリーで9回表の土壇場に4-3と1点を勝ち越した近鉄でしたが、その裏に二死満塁の大ピンチを迎えます。マウンドには、2日前の試合で完投していた阿波野秀幸さんがいて、梨田さんはこの時にマスクを被っていました。前編で話していたように、阿波野さんは球が"きて"いなかった?

梨田 全然きていませんでしたね。それと、9回裏は最初に吉井理人が投げていたのですが、ボールの判定にカーっとなってしまって。球審に対して顔を真っ赤にして怒っていて、野球をしているという感じじゃなかったんです。それで結局、仰木さんが投手コーチの権藤博さんに言って阿波野に代えたんです。

――その時、吉井さんとはどんな会話をされましたか?

梨田 「自信持って投げればいいよ。興奮しないで冷静にいこうよ」という話はしたんですが......吉井は自分のゾーンに入っちゃって軌道修正するのは難しかった。普段は物静かな男ですが、何かをきっかけに"瞬間湯沸かし器"みたいに顔を真っ赤にして怒ることはありましたね。

――そんな状況を見抜いて、仰木監督は吉井さんを諦めたと。

梨田 そういうことですね。それで阿波野が出てきてピッチング練習で球を受けたのですが、ボールの力は今ひとつでした。「あとは阿波野の投球術に頼るしかないな」と腹をくくりました。最後は三振が取れてギリギリで勝てたからよかったですが、この第1試合で阿波野と吉井の球を受けて、「第2試合は相当大変なことになるぞ」という危機感を覚えました。

(後編:時間切れで消えた優勝 梨田昌孝は現役最後の守備には「正直、つきたくなかった」>>)

【プロフィール】
梨田昌孝(なしだ・まさたか)

1953年、島根県生まれ。1972年ドラフト2位で近鉄バファローズに入団。強肩捕手として活躍し、独特の「こんにゃく打法」で人気を博す。現役時代はリーグ優勝2 回を経験し、ベストナイン3回、ゴールデングラブ賞4回を受賞した。1988年に現役引退。2000年から2004年まで近鉄の最後の監督として指揮を執り、2001年にはチームをリーグ優勝へと導いた。2008年から2011年は北海道日本ハムファイターズの監督を務め、2009年にリーグ優勝を果たす。2013年にはWBC 日本代表野手総合コーチを務め、2016年に東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。2017年シーズンはクライマックスシリーズに進出している。3球団での監督通算成績は805勝776敗。

プロフィール

  • 浜田哲男

    浜田哲男 (はまだ・てつお)

    千葉県出身。専修大学を卒業後、広告業界でのマーケティングプランナー・ライター業を経て独立。『ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)』の取材をはじめ、複数のスポーツ・エンタメ系メディアで企画・編集・執筆に携わる。『Sportiva(スポルティーバ)』で「野球人生を変えた名将の言動」を連載中。『カレーの世界史』(SBビジュアル新書)など幅広いジャンルでの編集協力も多数。

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