梨田昌孝が明かす「10.19決戦」第1試合9回裏の投手交代の真相 吉井理人→阿波野秀幸「ボールの判定にカーっとなってしまって...」 (2ページ目)
【9回、代打で決勝タイムリー】
――近鉄は8回表に村上隆行さんの2点タイムリー二塁打で同点に追いつきました。続く9回表、二死二塁の場面で代打に送られたのは梨田さんでしたが、仰木監督やコーチからはどんな声をかけられましたか?
梨田 仰木さんやコーチからはアドバイスなど特になかったですね。ただ、代打に呼ばれるまでの時間が長くて、「梨田」っていうコールをなかなかされなかったことは覚えています。「ここは俺しかおらんやろう」と思いながら代打の準備をしていたのですが、なかなか呼ばれないんで「早くコールしてくれよ」と思っていたのですが、その空いた時間でいろいろなことを回想しました。
長嶋茂雄さんが好きで野球を始めようと思ったこと、少年野球チームがなかったから三角ベースで野球を始めたこと、中学の野球部で初めて野球のユニフォームを着たこと、浜田高(島根)で甲子園に出場したこと、そしてプロ入りして......と、走馬灯のように自分の野球人生を思い出していました。その後に現実に戻って、「バットを振らないとダメだ。振れば何かが起こるかもしれない。ファーストストライクを振ろう」という考えで打席に向かったことは覚えています。
――それが現役最後の打席になる可能性も考えていましたか?
梨田 おそらく最後だと思っていましたね。そこで自分が打たずに同点止まりだったら優勝はないですし(当時のパ・リーグには、「ダブルヘッダー第1試合は延長なし、試合は9回で打ち切り」という規定があった)。第2試合では試合に出ることはないだろうと思っていたので。
――2球目を打った梨田さんの打球は詰まりながらもセンター前に落ち、二塁走者の鈴木貴久さんが本塁に生還しました。
梨田 嬉しかったですね。本塁への送球の間に二塁まで行ったのですが、二塁ベース上で、プロ入りして初めてのガッツポーズをしたんです。現役最後の日に。
――それまでガッツポーズをされなかったのには、何か理由があったんですか?
梨田 僕はキャッチャーということもあって、「勝負は下駄を履くまでわからない」という意識を強く持っていました。それがガッツポーズを自制することにつながっていたのかなと。ただ、あの時は自分で手を上げたというよりも、ファンの方々の"梨田コール"で自然に手が引き上げられたような感覚でしたね。1度コールが収まってから再度コールが起きたので、1度降ろそうとした手を上げたような記憶もあります。
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