プリンスホテル最後の指揮官が語った、初の都市対抗優勝から衝撃の廃部までの顛末 (3ページ目)

  • 高橋安幸●文 text by Takahashi Yasuyuki

【一世一代のトリックプレー】

 準々決勝の河合楽器戦は1対0。4回二死からの連打でとった1点を、3投手で守り切った。つづく準決勝の松下電器戦。2対2で延長戦に入ると、プリンスは13回、一死満塁から瀬戸山満年(中京大中京高)のスクイズで決勝点をもぎとり、決勝進出を果たす。「スクイズなんてまさに泥臭い」と言う足立は、この試合で奇抜なトリックプレーを敢行している。

 プリンス1点リードで迎えた6回、二死二塁。投手・橋本武広(東京農大/元ダイエーほか)は二塁ベースカバーに入った遊撃・高桑徹(補強=東京ガス)に偽投。高桑はジャンプし、二塁手の足立が右中間方向にボールを追いかけるように走る。一度は帰塁した二塁走者が牽制悪送球と思い込み、三塁に行きかけた時、高桑が橋本からボールを受けてタッチアウトとなった。

「ピッチャーが振り向きざまに牽制球を投げると、二塁ランナーはピッチャーに背中を向けて足から帰塁します。投げる瞬間は見ていないから成立するピックオフプレー。これは練習を重ねていましたが、やはり、そこまでやったから決勝まで行けて、勝てたと思います。投打の中軸がいなくて、戦力が十分ではなかったわけですから、石山さんの采配もすばらしかったですね」

 決勝は大昭和製紙北海道戦。プリンスは15安打の猛攻を見せて8対3と快勝し、創部11年目で初の優勝を果たした。大会最優秀選手賞にあたる橋戸賞はベテラン捕手の瀬戸山が受賞。大会通算19打数10安打の打棒に加え、金属バットの時代に東京ドーム5試合で被本塁打ゼロと、投手陣をしっかり引っ張った。足立自身、17打数7安打と気を吐き、チーム初の黒獅子旗を手にした主将となった。

「その年、プロ野球では巨人が優勝して、祝賀会には元首相の中曽根康弘さんが出席されたと。プリンスの祝賀会には当時の首相である海部俊樹さんがいらっしゃったんです。社会人が現首相で、プロが元首相かって(笑)。それがいいのかどうかは別として、普通では考えられないスケールの大きさで。東京プリンスホテルの鳳凰の間で、気持ちのいいものでした」

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