鉄平が落合博満の眼力、慧眼に驚き「おまえ、もともと左打ちじゃないだろう」と初めて指摘された (4ページ目)

  • 水道博●文 text by Suido Hiroshi
  • photo by Sankei Visual

── 鉄平さんを主将に任命したのは、星野監督からの信頼が厚かったからでしょうね。

鉄平 2009年に首位打者のタイトルを獲得し、年齢的にもいい頃だったこともあったと思います。それだけに星野監督が就任してから、僕自身が思うような成績を残せず、申し訳ない気持ちでいっぱいです。

── 中日、楽天と星野監督のもとでプレーしましたが、あらためてどんな指揮官でしたか。

鉄平 ユニフォームを着ている時は、まさしく"闘将"です。よく星野監督が言っていたのが、「常にファイティンポーズをとり、ゲームセットになるまであきらめないで戦い。試合を見てくれているファンのためにも、疲れているそぶりは見せずに戦いきれ」と。しかし、ひとたびユニフォームを脱ぐと、本当に失礼な言い方なのですが、めちゃくちゃ優しくて"気のいいおっちゃん"でした(笑)。だから、そのギャップがすごかったですね。

── 「星野野球」をひと言で表現すると?

鉄平  "闘争心"です。それにしても、星野監督、落合監督、野村監督と三者三様でした。星野監督には「気持ちの大切さ」、落合監督には「練習の大切さ」、野村監督には「考えることの大切さ」を教わりました。これはものすごく大きな財産になりました。今後、野球を志す後進のためにも、教えを還元していけたらと思っています。

おわり


鉄平プロフィール
本名:土谷鉄平(つちや・てっぺい)/1982年12月27日、大分県生まれ。津久見高から2000年ドラフト5位で中日に入団。05年オフにトレードで楽天へ移籍すると、06年にはレギュラーとして、自身初の3割をマーク。09年には首位打者を獲得し、ベストナインにも輝いた。13年オフにトレードでオリックスに移籍し、15年に現役引退。引退後は楽天の球団職員を経て、19年から21年までコーチを務めた。現在は解説者として活躍

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